服部勇馬選手が日本勢14年ぶりの優勝を飾った2日の福岡国際マラソン(日本陸上競技連盟、朝日新聞社など主催)に、うつ病から自殺未遂や過食症を経験し、立ち直った中西拓郎さん(30)が初めて出場した。光となったのは、勤務先の幼稚園の子どもたちだ。
「たくろー先生、見て」
福岡市東区の美和台幼稚園。声をかけたのはお遊戯会のプログラムを作る園児たちだ。「じょうず、じょうず。どんどん進めて」。中西さんが笑顔で答えた。
福岡県新宮町出身で、駅伝の名門、埼玉栄高校に進学。全国高校駅伝では3年時に「花の1区」で日本人トップになった。卒業後、JR東日本へ進んだが、「社会に出るための勉強が足りない」と退社。福岡大学に20歳で入学した。
福大では、日本学生陸上競技個人選手権の5千メートルで4連覇。エースとして全日本大学駅伝にも出場した。海外でフルマラソンも走り、世界選手権をめざした。
だが、過度なトレーニングと精神的な追い込みが自分を苦しめた。174センチの体で体重は45キロに。大学4年で迎えた2012年の全日本大学駅伝予選会では、本選出場が厳しくなっても悔しそうにしない仲間の姿もあった。「歯車がかみ合わなくなった。闘争心の糸がぷちっと切れた」
その年の夏ごろからうつ病の症状が出始めた。卒業後も企業とプロ契約を結んだが、結果を求められることがストレスになった。
買い物に出ると、スーパーのカゴは菓子パンや菓子でいっぱいになり、1カ月ごとに10キロの体重の増減を繰り返した。1カ月ほど家から出なかったこともあった。風呂場で首にタオルを巻いて自殺を2度、試みた。「波が激しく、落ち込むと、生きることに先が見えなくなりました」
そんな時、園児とのふれあいが心を癒やした。かつて自分が通い、時々連絡を取っていた美和台幼稚園の永島美智子園長に「出てこない?」と声をかけられ、半年、手伝った。子どもの素直な気持ちに心を打たれた。どん底からはい上がるきっかけを得た。
16年の福岡国際マラソンでは、足に故障を抱えながらも粘りで3位に入った公務員ランナー川内優輝選手ら、トップ選手たちの姿を沿道から見て涙が流れた。「なんで自分はここにいないんだろう」
今年のニューイヤー駅伝に「ひらまつ病院」(佐賀県小城市)の助っ人として出場した。7月からは「残りの陸上人生をマラソンにかけたい」と、幼稚園で働きながら本格的に練習する。園では、逆立ちができなかった子が練習を続け、倒立のまま歩けるようになるのを目の当たりにした。「子どもから継続することの大切さを教えられます」
99%無理でも1%にかける――。東京五輪の選考レース出場にわずかな望みを抱いて大会に臨んだが、結果は2時間36分28秒。それでも、地元で確かな復活の一歩を刻んだ。(角詠之)