メーン州リスボンで12月20日、家族で経営する農場の前に立つソーントン氏=園田耕司撮影
[PR]
28年のキャリアを誇る米国の女性外交官が2018年夏、失意の退任に追い込まれた。「米国第一」を掲げるトランプ大統領が17年1月に就任して以来、国際協調派は政権外や閑職に追いやられてきた。彼女もその1人だ。現在は首都ワシントンから約1千キロ離れた東部メーン州の農場で家族と暮らす。「第二の人生」に踏み出した彼女に会いに行った。(メーン州リスボン=園田耕司)
メーン州南部のポートランド空港から高速道路を車で走ること約1時間。森林地帯を抜けると、真っ青な空の下、雪原の中に目指す農場が見えた。
地図
「あなたとここで会えるなんて思ってもみなかったわ」。笑顔のスーザン・ソーントン氏(55)が愛犬とともに出迎えてくれた。
ソーントン氏は元政府高官だ。2018年7月まで米国務省で東アジア・太平洋政策のトップである国務次官補の代行を務めた。
だが退任にあわせて、ワシントンの自宅を引き払った。夫のジョーさん(56)、息子のベンさん(22)とともに、メーン州リスボンに移住し、ワシントンとはまるで異なる田舎の農場生活を始めた。
「もともとマサチューセッツ州の田舎育ちだから、いつかは田舎に戻りたいと思っていた。メーン州の生活は素晴らしいわよ」
購入した農地は480エーカー。馬や豚を飼い、ニンニクの栽培を始めた。ニンジンやキャベツ、カブ、ジャガイモなども栽培する予定だとうれしそうに語る。
だが、ソーントン氏は国務省を去る際、人生で最もつらい日々を送っていた。
格好の標的
トランプ政権発足から2カ月後の17年3月、ソーントン氏はティラーソン国務長官(当時)のもとで国務次官補代行に就任した。すると、政権内の対中強硬派から「ソーントン氏は中国に弱腰だ」という激しい批判が巻き起こった。
2017年9月、ワシントンであった北朝鮮制裁についての公聴会に出席したソーントン氏=AP
「ソーントン氏を国務省から追い出す」。バノン大統領首席戦略官(当時)はこう公言して回った。17年12月に国務次官補に指名されたが、共和党のルビオ上院議員らが反対にまわり、議会での承認手続きはいっこうに進まなかった。
ソーントン氏は対中強硬派から激しい批判を浴びたことについて、「政治的な理由からだった」と指摘する。中国に精通する専門家であり、中国との対話を重視する自分は、対中強硬派にとっては「親中派」のレッテルを貼りやすい格好の標的だった。
国務次官補の承認手続きがいっこうに進まない中、ソーントン氏の理解者だったティラーソン氏がトランプ氏から突然解任を言い渡された。18年3月のことだ。
ティラーソン氏はエクソンモービルのCEO(会長兼最高経営責任者)から国務長官に転じた。口数の少ない人だったが、プロの外交官を支えることを自分の義務と考えている様子だった。
ソーントン氏は「中国問題でも長期的な戦略を持ち、高潔で立派な人物だった」と振り返る。
ティラーソン氏は各国との協力を重視する国際協調派だ。だがそれゆえに、「米国第一」を掲げ、国際社会の合意や約束をほごにし続けるトランプ氏と確執を深めていった。
ティラーソン氏がトランプ氏から解任を通告されたのはアフリカ外遊中のことだった。帰国すると、ソーントン氏ら国務省のスタッフを集め、政権を去ることを淡々と伝え、一人ひとりと握手を交わした。
その後、ソーントン氏は個別に感謝と別れの言葉を伝えようと、ティラーソン氏のオフィスを訪れた。ティラーソン氏が突然の解任を憤っているのは明らかだったが、不満を漏らすことはなかった。
ティラーソン氏はソーントン氏にこう言った。
「君は忍耐強くやり続けるんだよ。それが一番大切なことだから」
励ますつもりが、逆に励まされた気がした。ティラーソン氏が解任されたのは、ソーントン氏の父親が死去した翌日だった。「あのときが自分にとって最もつらい時だった」
トランプ氏はティラーソン氏の後任に、「忠臣」として名高いポンペオ米中央情報局(CIA)長官(当時)を起用した。
長官交代後も、ソーントン氏の国務次官補承認手続きはストップしたままだった。18年6月、ポンペオ氏の首席補佐官に呼び出され、こう告げられた。
「あなたの国務次官補の指名を…