東京電力福島第一原発事故から間もなく8年。福島県飯舘(いいたて)村は避難指示区域が解除されて約2年が経つが、戻った村民は1割余り。主が帰らぬ空き家は次々と解体され、空き地には背丈を超えるカヤが生い茂る。故郷へ向かうはずの村人の足取りはなぜ重いのか。村南部の小宮地区を7年前から定期的に見回りをする元区長の庄司武実さん(65)の車に同乗して「村のいま」を見た。
1月下旬。朝8時。零下3度。息が白い。
庄司さんは毎月のように、ボランティアで小宮地区の放射能を測定している。測定器を載せた軽自動車は、小宮地区の西端にある庄司さんの自宅を出てすぐに県道を左手に折れ、緩やかな砂利道を上った。
「ヒュンヒュン」
道に沿って張られたイノシシよけのテープが風に反応して鳴る。「人間よりイノシシの方が多くなっちまった。震災以来、野菜もろくに植えてないのに」
母屋が撤去された空き地に真新…