誰もが知る超一級の国宝ながら真贋(しんがん)論争かまびすしい、ご存じ、志賀島(福岡市)出土の「金印」。ここ数年、両陣営にわかれて激しい論戦を戦わせている。そんななか、技術論から思わぬ助っ人が現れた。昨秋、福岡市内であった金印シンポジウムでのことだ。
金印は江戸時代の天明4(1784)年、水田での作業中に見つかったという。郡役所に提出された「甚兵衛口上書」はことの顚末(てんまつ)を、そう記録する。当時の福岡藩の碩学(せきがく)、亀井南冥(なんめい)は、これこそ中国の史書「後漢書」が記録する、建武中元2(57)年に後漢の皇帝が倭(わ)国内の首長に贈った金印だと喝破し、以後、通説となった。
ところが謎が消えない。出土状況ははっきりせず、発掘調査でも関連遺構が確認できていないからだ。当時、藩内で二つの藩校が競い合う歴史背景とも相まって様々な臆測が出され、金印は後世の偽造ではないかとする懐疑論が今なお根強い。
その存在に疑問を呈して平成の論争に火をつけたのが古代文学研究者の三浦佑之・千葉大名誉教授の著書だ。文字の形の推移や型式編年から真印を支持する考古学に対し、工芸文化研究所の鈴木勉さんら金工技術史のエキスパートからも否定論が噴き出した。
加工痕の不自然さや文字の彫り方など、鈴木さんが江戸時代の偽造とみる技術的な論拠は多岐にわたる。そもそも世の中に出回っている古印には現代の工具を使ったニセモノも多く、それらで考古学的な編年をつくっても意味はない、というのだ。
考古学と金工技術史という異分野だけに、両者の主張は平行線をたどる。ところが、技術論からも真印説を補強しそうな見解が飛び出した。昨年10月に福岡市内であった第12回金印シンポでの、金印の復元実験に取り組む九州鋳金研究会のメンバーの報告だ。
真印説には、つまみ(鈕〈ちゅ…