巨大組織の国連で、日本人職員として最高位に就いている中満泉・事務次長(55)。紛争地に飛び込んでキャリアを築き、家庭ではスウェーデン人外交官の夫と2人の娘を育ててきた。キャリアと家庭をどう両立させてきたのか。女性が活躍できる社会はどうすれば実現できるのか。中満さんに聞いた。(ニューヨーク=鵜飼啓)
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海外に初めて出たのは大学3年生のとき、留学で米国に来ました。それまではパスポートすら持っていませんでした。日本社会の閉塞(へいそく)感を感じたということではなく、海外への関心が強かった。高校は女子校に通っていたので、むしろのびのびとやっていました。
「女性リーダー」ということを初めて真剣に考えたのは、留学の終わりにパトリシア・シュローダー下院議員(民主党)の事務所でインターンをしたときです。当時は女性のロールモデルのような人は日本にほとんどいなかった。事務所にスーザンという30代半ばの女性スタッフがいて、その人が取り仕切っていました。肩に力が入っていなくて、ごく自然な形ではつらつと仕事していて「素晴らしいな」と思いました。
高校生のときから「国連に入りたい」という遠い夢のようなものを持っていました。留学や米国の大学院への進学を経て「努力すれば現実になる」ということに気づき、具体的な目標になりました。
1989年に国連難民高等弁務…