大会3日目の25日、津田学園(三重)は、近畿王者の龍谷大平安(京都)に挑んだ。延長十一回、0―2で敗れたが、全国屈指の伝統校と互角に渡り合った原動力に、佐川竜朗(たつお)監督(40)による自主性を重んじる指導があった。
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「負けた後のあいさつでもだらだらせず、最後まできっちりしていた。成長を感じました」。佐川監督は敗戦後、選手たちをたたえた。
監督は1996年夏、PL学園(大阪)の選手として甲子園に出場。卒業後は明治大学で主将を務め、社会人の名門日本通運でもプレーした。「大学時代、みんなが休んでいる時、夜中にバットを振っていた。それが力になった」と話す。
2006年、社会科教諭として津田学園に赴任し、08年4月、野球部コーチから監督になった。17年、夏の甲子園初出場に導き、1勝を挙げた。
球歴は華やかだが、厳しい練習環境に身を置いたからこそ、野球に嫌気が差した時期もあった。「野球の楽しさを感じてほしい」というのが指導理念だ。
昨秋、打撃フォームに悩んでいた藤井久大(ひさひろ)選手(3年)にもあえて口出しせずに見守った。藤井選手が悩んだ末、振り子打法を採り入れると、佐川監督は一緒に打席に入ってアドバイスし、フォームを固めていった。藤井選手は昨秋の東海大会で本塁打を放つなど成長し、選抜出場を決めたチームの中心となった。
放課後の練習は校則で日が暮れる頃まで。強豪校の中では練習時間は短い。時間が限られる分、伸ばせるところを集中的に鍛える。
メンバー外の部員は別の場所で練習させる強豪校もあるが、津田学園では全部員が同じグラウンドで練習する。選抜でベンチ入りできなかった部員にも「春季大会は背番号を取ろうや」とはっぱをかけて目配りする。
母校PL学園は春夏7度の優勝を果たしながら、部内暴力をきっかけに揺れ、休部となった。佐川監督は自宅の居間で、寮生に和気あいあいと夕食を取らせるなど、リラックスできる雰囲気づくりを心がける。「部員たちは兄弟。兄貴は弟をいじめたらあかんし、弟も兄貴をなめたらあかん。家族みたいなチームになろうや」と呼びかける。
龍谷大平安戦、打者は投手寄りに立ち、早いカウントから積極的に打った。強打を誇る選手たちを信じ、「粘り強さより、どんどんいけいけという野球を目指している」。津田学園のエース前佑囲斗(まえゆいと)投手(3年)より、相手エースの球数は少なかったが、「それでいい」と選手に伝え、積極性は崩さなかった。この日、3安打と気を吐いた小林世直(せな)選手(2年)は「強気でいこうと甘いボールを狙った。甲子園で結果が出て良かった」と自信を深めた。
「選手に任すのは怖い面もあるけど、勇気を持たないとだめ。任せて失敗しても、そこから学ぶこともある」。監督としての甲子園2勝目はならなかったが、自主性を磨いた選手たちは、春の聖地で大きな自信をつけた。(村井隼人、広部憲太郎)