一昨年まで10年連続で三重大会初戦敗退のチームが甲子園にやって来た。津市の山あいにある白山の初出場は、選手からも「奇跡」の言葉が漏れるほど。11日、初戦の2回戦で愛工大名電(西愛知)に0―10で大敗したが、いつも町で見かける普通の子どもたちの全力プレーに、一塁側アルプス席は盛り上がった。
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主力の3年生には第1志望の学校に行けなかった選手が多い。再三の好守でスタンドをわかせた遊撃手の栗山翔伍と4番の辻宏樹主将は同じ中学出身で、同じ県立校を落ちた。
栗山は「それで辻が白山に行くと言うので、僕は軽い気持ちで。そしたら自分たちの学年はたまたま(野球部員の)数が多くて……。でも入った時、甲子園は夢のまた夢でした」と振り返った。5番の伊藤尚は中学時代は硬式のボーイズリーグでプレーし、対戦した愛工大名電を志望していた。
だから、全員が胸を躍らせて入学したわけではない。しかも当時の野球部は2、3年生合わせて十数人しかいなかった。初めて野球部を見た伊藤の第一印象も「こんなんで大丈夫かな」。東拓司監督が「一緒に野球をやろう」と声をかけ、この代だけで13人が集まった。彼らは全員、甲子園のベンチに入った。
学校に打撃マシンがないことも話題になった。それでも三重大会準々決勝では、プロ注目の本格派投手を擁する菰野を打ち崩した。グラウンドは広く、打撃練習が同時に3カ所でできる。だが、マシンがないなら投げてくれる人が必要だ。
東監督は周辺の中学校に声をかけ、部員集めに励むと同時に、もう一つの人集めもしていた。現在、かかわりの濃淡はあるがコーチは8人もいる。東監督の学生時代の後輩や前任の上野高時代の教え子らで、教員志望で講師をしている若い人たちを誘った。昨年度まで部の顧問だった佐々木崇さん(40)は「東監督も教員試験に受かるまで苦労したので、そういう若い人たちに教える場をもってもらいたいと。彼らが熱心に打撃投手もしてくれているんです」。
そうした人たちに支えられ、選手たちも変わった。この日の八回、大差にもかかわらず初めての連打が出ると、アルプス席の応援はいっそう熱くなった。栗山は言う。「白山という小さい町ですけど、地域の人に期待されて責任も感じましたし、監督やコーチに感謝の気持ちを持てるようになりました。そこが成長したところかなと思います」。その足跡をたどれば、確かに「奇跡」としか言いようのない夢の舞台は、1時間51分で幕を閉じた。(伊藤雅哉)