大阪桐蔭が春夏連覇した記念大会イヤーが明け、実力伯仲の熱戦が多く繰り広げられた。開幕試合の延長十一回サヨナラ(市和歌山3―2呉)から始まり、準々決勝は4試合中3試合が1点差。準決勝はともに2点差試合で、終盤までもつれる展開となった。
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接戦を演出したのは好投手たち。打撃優位の傾向が進んだ平成の最後に、「春は投手力」という定説が復活した感もあった。中でも明豊の若杉、市和歌山の岩本、龍谷大平安の野沢ら、球の切れと制球力で勝負した左投手が印象に残る。
複数投手による継投策も当たり前になった。接戦続きの準々決勝で完投したのは1人だけ。延長十一回に1―0で決着した明豊―龍谷大平安でも明豊は3人、平安は2人をつないだ。
右投手は星稜の奥川、明石商の中森、習志野の飯塚らの本格派が目を引いた。いずれも制球力にも優れていた。彼らに勝る安定感を発揮したのが優勝した東邦の石川だ。小さなテイクバックから、切れのあるボールを投げ込んだ。
大会前半は21世紀枠の健闘が光った。石岡一は好右腕の岩本を仲間がもり立て盛岡大付を九回2死まで追い詰めた。富岡西は浮橋を中心に東邦に善戦。熊本西も智弁和歌山を相手に、二回に1点を先行した。
3校の奮闘は全国の高校球児の手本、勇気になったはず。重盗や本盗を果敢に仕掛けた習志野の攻撃や、攻守にしぶとさを発揮した明石商、龍谷大平安の戦いぶりも参考になるだろう。
それらは、どこか昭和の雰囲気をまとったスタイルでもあった。有望な選手が集まり、充実した環境で個々の能力を伸ばすチームが増えた平成の高校球界にあって、むしろ新鮮だった。新しい令和の時代も各チームがそれぞれの個性を磨き、切磋琢磨(せっさたくま)する高校野球であって欲しい。
もちろん、その前提として大切なのがスポーツマンシップであることは言うまでもない。スポーツにはルールがある。相手に敬意を表し、試合が終われば、互いの健闘をたたえ合って握手する。高校野球の精神は永遠に変わらない。(編集委員・安藤嘉浩)