英雄アレクサンドロス大王が治めた「マケドニア」を国名にするかをめぐる、ギリシャと北マケドニア(旧マケドニア)の間の長年の問題が解決した。なぜ合意にこぎつけることができたのか。(テッサロニキ=河原田慎一、スコピエ=吉武祐)
ギリシャ第2の都市テッサロニキがある北部は、マケドニア地方と呼ばれる。アレクサンドロス大王が生まれた古代マケドニア王国の都、ペラはテッサロニキから西に約40キロ。ギリシャ国民にとって大王は紀元前4世紀にギリシャ文明を東方へ広めた英雄だ。テッサロニキの広場には大王の像が立ち、地元住民は自らを「マケドニア人」と呼ぶ。
隣国の北マケドニアも旧ユーゴスラビアを構成する共和国としてマケドニアを名乗り、1991年の独立で国名をマケドニアとした。これにギリシャは激しく反発。マケドニアの北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)への加盟に反対した。長年の外交問題だったが、両国は昨年6月に国名変更で合意。マケドニアは今年に入り、北マケドニアと改称した。
批判押し切ったギリシャ政権
だが「マケドニア」の名が残るため、ギリシャ人の多くは納得していない。北マケドニア人を首都名から「スコピエ人」と呼んでいる。テッサロニキから国境まで約60キロだが、国境を越えてすぐ近くのカジノか、ギリシャより安いガソリンやたばこを買いに行くぐらい。交流は少ない。
ペラ近くの村に住むバシリス・…