「主権を取り戻す」
2016年6月の国民投票で離脱派が好んだフレーズを、元残留派のメイ首相は、これまで何度も繰り返してきた。だが、それから約3年。EU離脱をめぐるメイ氏のかじ取りは、誤算と失敗の連続だった。
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国民投票の翌月に首相になったメイ氏は「偉大でグローバルな貿易国家としての役割を再発見する」と主張した。EUが握る関税の権限を自国に取り戻し、日本など世界の国々と独自に野心的な貿易協定を結ぶ。EUの様々な規則にも縛られず、移民も抑えることで、経済を活性化する――。そんな掛け声が、「主権回復」や「独立」をさけぶ強硬派を喜ばせた。
国民投票では、離脱支持52%に対し、残留支持48%。わずかな差なのに、民意は「離脱」にあるとして、17年3月にはEUに離脱を正式通知した。強硬派が求めるまま、2年と限られた交渉期間のカウントダウンを開始し、早期の離脱へと突っ走った。
メイ氏がまずつまずいたのは、17年6月の総選挙だ。
EUとの交渉を有利に進めるため、国内基盤を固めようとしたもくろみは外れ、与党・保守党は英議会で過半数割れとなった。EUとの緊密な関係の維持を求めつつ、反緊縮を訴えた労働党が議席を伸ばした。
離脱に関しては保守党内でさえ意見が割れているのに、北アイルランドの地域政党の閣外協力を得なければ政権運営ができず、合意形成が難しくなった。メイ氏の賭けは裏目に出た。
一度決めたら、いくら批判されても我が道を突き進むのがメイ流だ。印象的なのは、昨年11月半ばの夜に突如開かれた記者会見だ。
離脱条件を定めた協定案をEUと合意したのに、担当閣僚は抗議して辞任し、与党内は「メイ降ろし」の嵐に。辞任会見かと思われたが、メイ氏は「この道が正しいと全身全霊で信じている」と声を振り絞った。
タフさが称賛と同情を集め、求心力の一時的な回復につながったこともある。だが、頑固さは独善と裏腹だ。妥協を嫌い、意見が異なる人の話はあまり聞かない。失敗しても軌道修正できず、自ら道を狭めた。
限界が露呈したのが、英領北ア…