Question 辛徳勇氏
北京大学歴史学部教授
――中国の元号はいつごろ始まったのですか。
「一般的には前漢の武帝時代の『建元』(紀元前140年ごろ)と言われているが、実ははっきりしない。当時、この元号が使われた証拠がないのだ。私の研究では、初めて使われた元号は同じ武帝時代の『太初』(紀元前104年ごろ)。秦の始皇帝が定めた10月1日を正月とする暦を、太初以降、現在も使っているような農暦(旧暦)に変えるなど大改革があった。それ以前の元号は後からさかのぼって命名したようだ」
――日本では5月に改元します。
「中国では皇帝が代わっても年の途中での改元はめったになかった。『一年不二君』(同じ年に2人の君主がいてはならない)の考えから、次の正月に改元した。公文書の作成が不便になるといった技術的要因もあった」
――新元号は、初めて日本の国書から引用して「令和」と決まりました。
「『令和』はわかりやすく、書きやすいので良いと思う。中国の古典から引用すればもっと優雅な元号ができたとは思うが。万葉集から引用したことで様々な議論が出ているが、日本的な元号にしたいという感情は理解できる。平仮名やローマ字の元号でも構わない。ただ、中国との文化の違いや『日本化』をことさら強調するのであれば賛成できない。ナショナリズムを助長し、悪影響が出る」
――日中文化の融合とも言える元号という伝統をどうとらえればいいでしょう。
「そもそも日本が独自の元号(大化、645~650年)を使い始めた時点で『脱中国化』したと言える。元号は天命を受けたことを象徴する。中国の皇帝も日本の天皇もそれぞれ天命を受け、対等なのだと明確に示した。中国の元号を併用した朝鮮半島などとは異なる」
――とはいえ日本は中国文化を排除したわけではありません。
「日本は中国由来の文化を大いに受け入れ、独自に発展させた。中国で早くに漢字が成立したので、日本語の形成過程で漢字が借用された。逆に現代中国語は、明治以降に日本で考案された単語が大量に使われている。それらの言葉がなければ中国人は会話も文章を書くこともできない」
「これは中国だ、日本だとこだわるのでなく、東アジア共通の文化という大きな視点で考えた方がいいと思う」(聞き手・西村大輔)
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辛(シン) 徳勇(トーヨン) 1959年生まれ。陝西師範大学副教授や中国社会科学院歴史研究所副所長などを経て現職。歴史地理学、歴史文献学などが専門。著書に中国古代の元号についての「建元と改元」など。