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宮城県石巻市の佐藤美広(みつひろ)さん(58)は、市立大川小学校で亡くした長男健太君(当時9)の死の理由を問い続けている。長引く法廷闘争の中、がんとの闘いが加わった。「納得できるまでは、死んでも死にきれない」。そう考えながら、提訴して5年が過ぎた。 「子供たちの声が高裁にも届いた」 1年前の4月26日、美広さんは仙台高裁前で垂れ幕を掲げた。隣の遺族が持つ「勝訴」の字は、亡くなった子どもたちの名前で描いたんだ――。原告副団長として笑顔で説明する一方で、その体にはがんの転移の可能性を抱えていた。 健太君は、妻とも子さん(55)との間に2度の流産の末に授かった、念願の一人息子だった。当時、美広さんは40歳、とも子さんは38歳。名前に「健康で太く生きてほしい」と願いを込め、「自分のことは自分でできないと、私たちがいなくなってから困るから」と、甘やかさずに育てた。 小学2年で野球チームに入ると、日曜日には決まって父子でキャッチボール。3年生でレギュラーになり、秋の大会で初ヒットを打った。美広さんは「たまたま当たっただけなのに喜んでねえ」。当時楽天の田中将大投手が憧れだった。 もうすぐ4年生になるはずの3月11日、健太君は帰らなかった。夫婦は「先生がついている」と安心したのに、1カ月後に水の中から見つかった。まるで生きているみたいにきれいな顔だった。子どもたちと先生は地震後も校庭にとどまり、避難を始めた直後に津波にのまれたと知った。2014年、ほかの遺族とともに市と県を訴えた。 体に異変を感じたのはまもなく… |
流産の末の一人息子、なぜ死んだ がんとも闘う父の5年
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