8年前、東日本大震災から1週間ほど経ったころ。宮城県名取市の鈴木恵子さん(55)は、息子との2度目の別れを決めた。1度目は病で、2度目は被災した子どもたちを助けるために。
団地の部屋の洗面所には、毛先の広がったアンパンマンの黄色い歯ブラシが置かれている。それが鈴木さんの手元に残る、優亮(ゆうすけ)君のわずかな形見だ。
優亮君は1996年生まれ。生後2週間、ベージュのおくるみに包まれていたときに、「骨髄性白血病」と告げられた。すぐに危険が迫った状態ではないとはいえ、鈴木さんは不安が募ったが、やがて「この子には私しかいない」と意を決した。
幸い、病魔が表に出ることはなく、優亮君はすくすく育った。3人きょうだいの末っ子で、甘えん坊のいたずらっ子。兄が大事に集めたポケモンのシールを取り出し、兄が学校に行った隙に家中に貼った。言葉を覚え始め、お母さんは「かちゃん」、大好きなウルトラマンは「ウニャウニャマン」。そう話せるようになった冬、風邪で高熱を発した末、脳症で亡くなった。2歳3カ月。突然の別れだった。
自宅の衣装ケースには、優亮君…