昭和初期に建てられた木造の伊賀上野城天守閣(三重県伊賀市上野丸之内)で台風時に起きる雨漏りが、建物の高さのかさ上げや外観の装飾追加など、建設途中で施された設計変更に原因があることがわかった。本格的な修復には最低2年の休館と数億円が必要と見込まれるという。
城の正式名称は「伊賀文化産業城」。1932年に当時の衆院議員川崎克(1880~1949)が私財を投じて着工、35年に完成した木造3層のしっくい塗り。雨漏りは20年以上続き、天守閣を管理運営する公益財団法人伊賀文化産業協会が原因を探るため、構造調査を2017、18年度の2回、津市の歴史的建造物保全・修理設計会社へ委託していた。
6日に協会の理事や評議員ら約30人を集めて開かれた調査報告で、2層目外壁の柱が1層目の柱とつながっておらず基礎の支えがなく、2層北壁を中心に最大14センチ沈下していると判明。2層目の天井と3層目の床の間が約2・2メートルの中空になり、その間を1メートルほどの短い柱がつなぐ構造だとわかった。
調査会社の担当者が「違和感を覚える」とする構造の理由も、調査後に見つかった研究論文や城史の内容から明らかにされた。それによると、工事が進んでいる段階で天守閣の高さを20メートルから23メートルに変更。当初の設計では1、2層に1カ所ずつだった破風も両層の全面に付け、外観が華美になるよう複数の部分で変更が加えられていた。
この建築途中での設計変更の影響で、2~3層目に縦にも横にもずれやすい構造が生まれ、台風の暴風雨で1、2層部分が雨漏りするとみられる。
今後の対策も調査会社から参考…