JR美濃太田駅(岐阜県美濃加茂市)のホームで立ち売りを続けてきた駅弁屋が5月末、60年の歴史に幕を閉じた。鉄道の高速化に加え、駅構内にコンビニエンスストアや飲食店が増えたこともあって昔ながらの駅弁は全国的に数を減らしている。
60年以上も立ち売り
閉店した駅弁屋「向龍館」は1955(昭和30)年の創業で、「松茸(まつたけ)の釜飯」(税込み千円)が名物だった。美濃太田駅は、木曽川の「日本ライン下り」の最寄り駅。60年以上も立ち売りを続け、1970~80年代の最盛期には1日に300~400個が売れた。従業員も30人ほどいたという。
だが、近年は1日に10個も売れなくなり、2代目の酒向茂さん(75)と素子さん(72)の夫婦2人で切り盛りしてきた。朝4時半に起きて仕込みを続けた茂さん。駅弁を積んだ立ち売りの箱は一般的に20~30キロもあり、「体がついていかんようになった」と閉店を決めた。
全国のJR駅構内で営業する駅弁屋などでつくる「日本鉄道構内営業中央会」によると、昭和40年代に430社ほどあった加盟社は100社弱で、立ち売りの駅弁屋は人吉駅(熊本県)や折尾駅(北九州市)など2、3カ所しかない。
鉄道高速化が逆風
背景にあるのは列車の高速化だ。目的地までの乗車時間が短くなり、車内で弁当を食べる習慣が減った。駅の停車時間が短くなったことも営業の機会を減らした。茂さんが立ち売りをしていたのも停車時間が比較的長い各駅停車が中心だった。コンビニなど、駅弁屋以外で弁当を買える場所が増えたことも影響したようだ。
車内の冷暖房が利いて乗客が窓を開けなくなり、売り子の声が届かなくなったことも苦戦の一因になった。「便利がようなるほどあかんのよ」と茂さん。同会の沼本忠次事務局長によると、立ち売りは首からさげる箱が重たく、売り手の体への負担も大きい。台車を使った立ち売りを試みた店舗もあったが、「風情がない」と流行(はや)らなかった。高齢化で店をたたむ人も少なくないとみられる。(初見翔)