夏休みが明けた昨年9月。試験期間だった転校初日の教室は驚くほど静まりかえっていた。つい先日まで4年半住んでいた米国・ミシガン州の学校では、授業中に菓子を食べることが当たり前だった。
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神戸高校(三重県)の浅田丈斗(2年)は元々、話すことが得意ではない。不安が膨らんだが、程なく杞憂(きゆう)に終わる。試験が終わるやいなや周囲には人だかりができた。
野球部の主将に就いたばかりの山中康誠(3年)は気を落としていた。新チームは秋の地区予選で敗れ、県大会出場を逃していた。そんな時、転校生の浅田の話を耳にする。どうも野球部に入りたいらしいが、よくよく聞くと野球の経験が乏しいらしい。ちょっとだけ当てが外れた気がした。
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浅田は当初、バドミントン部に入ろうとした。両親も、日本の部活動で野球を続けるのは厳しいと感じているようだった。それでも幼い頃、家族で足を運んだ甲子園で、ホームランが飛び出したときの歓声が忘れられなかった。
悩む浅田の背中を小学校時代の同級生が押し、半ば強引に野球部の練習に参加させた。米国の高校でも野球クラブに所属していたが、わずか1年のみの「ほぼ初心者」。ただ練習では、180センチの長身から生み出すパワーにものをいわせて打ちまくった。
監督の岡村教正(44)は初めて見た浅田の打撃技術に舌を巻き、あまり期待していなかった山中さえも「すごいやつ」と驚いた。
2人は熱心に入部を勧めたが、浅田は最後の踏ん切りがつかずにいた。部員は全員丸刈り。目までかかった長髪を切るのは抵抗があった。岡村は「髪形のことを気にする必要はない」と一笑に付して受け入れた。
浅田はチームにあっという間に溶け込んだが、少し浮いていると感じていた。チームメートに「切れよ、髪」とちゃかされることもあった。距離を縮めたい好意だとは気づいていたが、チーム内では変わった部員のままなんだろう、と少し悲しかった。
ところが、入部から1カ月後の練習試合で転機が訪れる。拮抗(きっこう)した展開の終盤、打席に入った浅田がフルスイングすると、打球は左翼席に吸い込まれた。チームメートは大喜びしてくれた。
言葉が通じず、うまくなじめなかった米国のクラブでも、浅田の一打に仲間が大喜びした経験があった。日本でも米国でも一本の安打が仲間と自分をつないでくれる――。長髪をからかわれることもなくなった。
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この夏を前に、チームメートは互いの髪の毛を切り合った。3ミリ以下にまで刈り込んだ部員もいるが、山中は「浅田は切らなくてもいい。お前らしさを貫け」と言ってくれる。
米国では真夏日になることはなかった。日本の夏は厳しく、汗で長髪がびっしょりになる。それでも浅田は、自分らしさを大切にしてくれるこのチームが大好きだ。
今ではチーム屈指の長距離打者に成長し、自分の持ち味はホームランだと感じている。周囲も期待してくれる。だからこそこの夏は、ホームランで球場をわかせるとともに、個性を受け入れてくれた岡村やチームメートに恩返ししたいと考えている。(敬称略)(村井隼人)