いつ見ても兄が描く放物線は美しいと思う。津商(三重県)の服部康弘(3年)は昨夏、大会第6号となる本塁打を、尊敬と羨望(せんぼう)のまなざしでスタンドから見つめていた。
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5人きょうだいの末っ子。スポーツ一家に育った。父・吉樹(48)はスポーツ少年団の監督。きょうだいは物心ついた頃から野球に親しみ、姉・洋代(21)はソフトボールで19歳以下の日本代表候補に選出される実力者。バッテリーを組む双子の兄の恭平(19)と哲平(19)は、津商に進んだ後に背番号「1」と「2」をつけた。
一方で、兄の背中を追って津商を選んだ服部は伸び悩む。中学時代、兄たちほど活躍したわけではない。それでも強豪の門をたたいた理由は、一度は3人で大きな舞台に立ってみたかったからだ。
当初の予想通り、入学後から2人の兄と常に比較された。心のどこかで、「兄たちほどの実力がない」という評価が下されることにおびえていた。
自宅に戻ると、強打者でならした兄たちは毎晩、素振りにつきあってくれた。普段は口数が少ない監督の宮本健太朗(41)は、あえて「あいつらにないものをお前は持っている。お前はお前だ」と発破をかけてくれた。
「兄みたいに自分も『持っている』はずなのにな」――。学校でも家でもバットを振り続けたが、昨夏はベンチ入りがかなわず、兄たちと一緒にグラウンドに立つ夢は果たせなかった。
それでもバットを振るのはやめなかった。期待してくれる人に報いたい一心だった。
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県内では6月ごろになると「メモリアル・ゲーム」が開催される。いわゆる3年生の引退試合だ。
久々に、両親と4人のきょうだいがスタンドにそろう。「もう試合に出るのは最後かもしれない」という思いが一瞬、頭をよぎったが、服部は狙っていた。相手投手の甘い初球を迷いなく振り抜くと、乾いた音とともに、味わったことのない感覚が手に伝わってきた。
場所は昨夏、くしくも恭平が美しい放物線を描いた津球場。後で、打ったときに撮ってくれた写真を見た。見たことのない笑顔。純粋に楽しめている。自分の顔なのに、少しおかしかった。
この試合では、もう1人のベンチ外の部員も本塁打を放った。「大切なものを思い出させてくれる試合だった」。宮本は試合後、部員の前で語った。
部員が100以上いる津商では、80人ほどの部員は試合に出場する機会がない。主将の川喜田光星(3年)は、公式戦の舞台で活躍することがほとんどなかった服部の一打や、ベンチ外の選手の活躍に強く心を動かされた。「あの引退試合を見て、みんなでまとまっていこうという気持ちが強くなった」
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服部はあの日、津球場での興奮が冷めやらないまま急いで家に戻り、父の顔を見た。すぐに言葉は出なかった。感謝の気持ちを伝えたいのに、いざ伝えるのは本当に難しいと思う。口べただし、こういう機会は今までなかったし。
思わず、とっておきのホームランボールをポン、と投げてみた。手から離れたボールは放物線を描いて吉樹の手に収まった。
「やるやん」。父はあっけらかんと言ってのけた。
引退試合は終わったが、服部自身、この夏、グラウンドに立つことをあきらめてはいない。本塁打の先にある公式戦を夢見て、兄たちとの素振りを今も続けている。(敬称略)