「登録完了後、どのように移動するのか?」、「移動までどれほど待たなければならないのか?」というのが、ボランティアたちに投げかけられる最も多い質問だ。慣れない環境や待たされていることへの苛立ち、新型コロナウイルス感染流行からくる心配や不安に、普段通りにはスムーズにいかないコミュニケーションなどが重なり、精神的に追い込まれてしまう旅客も一部いた。于子涵さんはある夜、日本から来た5人家族の通訳を対応した。男性は英国人、妻は日本人で、日本で20年以上生活している夫婦だった。どうやら于子涵さんの所に来るまでの通訳サポートが十分でなかったようで、通訳のいる案内所にやって来た際、英国人男性はややいら立ちを隠せない様子で、コミュニケーションをとることすら難しい様子だった。しかし、日本人の妻のほうが話しかけてきて、日本語でのコミュニケーションが可能であることを知ると、馴染み深い言語を耳にしたからだろうか、その家族は少しずつ落ち着きを取り戻していったという。登録手続きが終わり、移動する時、彼らは「于さん、ありがとう。ご迷惑をかけました」と挨拶してくれたのが、于子涵さんはとても印象深かったとし、「言語の壁を打ち破り、心と心の距離が縮まったあの感覚は忘れられない」と話す。
このように緊張感漂う環境で働かなければならなかったことだけでなく、ボランティアたちをさらに苦しめたのが、風をも通さぬ防護服で、着るのも大変ならば、脱ぐのはさらに至難の業だったという。そのため、「仕事中はトイレに行きたくなると困るので、水を飲めなかった」や、「トイレに行きたくても、我慢してシフトが終わってから行くということも多かった」とした。そして防護服はその着脱の大変さだけでなく、三寒四温の今の気候も、ボランティアたちを苦しめたという。「初めの数日は気温が低く、ホールは常に換気されている状態である上、私たちは少なくとも半日ぐらいはその場にいなければならなかったので、カイロを服に貼っていた。でも、その後急に気温が上がり、防護服やマスク、防護ゴーグルを装着していると、とても暑く、すぐに汗だくになった」と王琦■さん。
「愛と希望が溢れる中国国際展覧センター」
「第一線」で活動する前、「95後」の4人は、他の多くの人と同じく、スマホなどを通して新型コロナウイルス流行の最新情報を見ているだけだった。そのため、自分がまさか「第一線」に立つことになるとは思ってもみなかったという。
王琦■さんは、「ニュースを見ていただけの時と比べると、実際に『第一線』に来ると、リアルで臨場感がある。自分がここに立つなんて思いもしなかった。でも、自分が『第一線』に立つ戦士だと思ったこともないし、どれほど大きな貢献をしたとも思っていない。私は、生死に向き合って、奮闘している医療従事者こそが『第一線』に立つ戦士だと思う。私は単なるボランティアであり、北京に住む大学生だから、中国国際展覧センターで通訳サービスを提供することは、私が当然すべきことをしたに過ぎない。でもとても意義があると思う」と話す。
于子涵さんも、「ここに来るまでに見ていたのは、『第一線』に立つ医療従事者らの勇敢な姿だったし、そういうものしか見てこなかった。でも、実際にここに来て、1日も早く帰宅することを望み、不安を感じている旅客やスタッフたちの疲労した後ろ姿、そして互いに励まし合うボランティアを目にすることができた。中国国際展覧センターは世界各地から来た人々を受け入れることができるほど大きい。でも、人々が共に抱く愛と希望が溢れてしまうほど小さい」と話した。(編集KN)
「人民網日本語版」2020年4月1日