イスラエル軍が宣言したレバノン南部に対する空爆停止は2日未明に期限切れを迎える。「イスラエル軍の猛攻が近いのでは」「母は殺されたまま放置された」。度重なる空爆の被害を受けたレバノン南部から比較的安全な北部を目指す避難民の列が続く中、レバノンの人々はイスラエルへの憎悪を胸に抱きながら、息を潜めている。【ベイルート澤田克己】
赤十字国際委員会(ICRC)やレバノン赤十字社は7月30日に空爆されたカナなど各地から負傷者や犠牲者の遺体をレバノン南部の町ティールに搬送している。「一時的な空爆停止期間が終わればイスラエル軍は再び猛攻を始めるだろう。まだ南部に取り残されている人は死を待つしかない」。ティールで活動するICRCのローランド・フィギニンさんは毎日新聞の取材に悲しげな声で答えた。
7月24日にレバノン南部カフラ近くで乗っていたミニバスが爆撃され、頭や手に大やけどを負ったムンタハ・シャハイトさん(38)はベイルート南部の病院に運ばれた。窓を通じて時折響いてくるイスラエル軍機の爆音にベッドの上で身を硬くする。「母は殺されたまま1週間も路上に放置されていた。(空爆が止まった)昨日、やっと赤十字がティールまで運んでくれたのよ」
シャハイトさんらは、イスラエル軍の空爆で危険になった村から北部へ逃げようとして小型バスに乗っていた。女性や子供ら18人をぎゅうぎゅう詰めにしたバスは夜明けを待って出発したが、2時間も走らないうちに爆撃を受けた。直撃は免れたが、3人が死亡し、残りの人々も大けがをしたという。
シャハイトさんは「突然だった。ものすごい音がして、光に包まれた。何も考える時間などなくて、気が付いたら病院だった。とにかく子供たちが心配で、子供たちが生きていてホッとしたら、母が亡くなっていた」と語り、目を伏せた。付き添いの弟のモハメドさん(32)は「母をいつ引き取ってあげられるのか、見当もつかない」と肩を落とした。
「空爆だけじゃない。衛生状態も悪くなっており、伝染病も出始めた。レバノン南部は危機的状況だ」。取材に立ち会ったシュケール・ハッサン医師(26)が吐き捨てるように話した。
毎日新聞 2006年8月1日