3日未明にイスラエル軍のミサイルでガレキの山と化したビル=3日、山科武司写す
【ベイルート山科武司】3日未明に再びイスラエル軍のミサイル攻撃を受けたレバノン・ベイルート南郊のダハヒ地区。ヒズボラの拠点とされるハレトハレク地区は、度重なる攻撃で廃虚と化し、人々にはイスラエルへの憎しみだけが満ちていた。
同日午前11時過ぎになって、地区を支配するヒズボラからミサイル落下現場への立ち入り許可が出た。「撮影は急いでくれ。1分後に何が起きるか分からない」。耳を澄ますとかすかに爆音。イスラエル軍機だ。「あの音が近づくとどうなっても知らないからな」。思わず足が速まった。
現場はビルが無残に崩れ落ちていた。周囲のビルもいくつかがこれまでの攻撃で破壊されていた。車がガレキの山に埋もれ、破壊力のすさまじさを象徴していた。別の場所では廃虚からまだ煙が上がり、焼け焦げたにおいが周囲に満ちていた。
ハレトハレク地区の一般住民はすべて避難し、残るのはヒズボラ関係者とその支援者だけ。廃虚の中をバイクで巡っては不審者が立ち入っていないか警戒を怠らない。破壊されたガソリンスタンドの写真を撮ろうとすると、小銃を抱えたヒズボラの民兵が「許可を得てくれ」とさえぎった。
この日崩壊したビルの正面にあったマンションは7月28日に破壊された。前日にヒズボラの強い警告を受けて4人の家族と最後に立ち退き、九死に一生を得たスレイマン・サスさん(62)が自分の家がどうなっているか確かめようと現場を訪れたが、ヒズボラに拒否された。「10万ドルの価値はあるマンションだったが、すべてはゼロだ。普通の人々を苦しめるのがイスラエルのやり方なのか」。無念そうに語った。
ハレトハレクに南接するボルジェル・バランジェ地区にも人々が住み続けていた。避難しようにもその資金もないパレスチナ難民たちだ。
「昨日の爆撃は花火のようだった」とムハンマド・アトウテさん(40)は言う。攻撃が始まった直後は驚いたが、今では慣れたという。「オーストラリア、カナダ、ノルウェー。外国人はすぐに逃げ出した。我々には逃げる場所もない。ここで死ぬしかない。我々はヒズボラとともにある」
そう言い切った。