イランは31日、国連安保理決議が突き付けたウラン濃縮停止要求に応じなかった。国際原子力機関(IAEA)の報告書を受けて安保理などでの制裁論議が本格化し、「制裁発動」か「交渉継続」かを決する重大局面に入る。だが、レバノン情勢を通じてイランが中東・イスラム世界で存在感を増す中、核開発を止める妙手は見当たらず、国際社会には手詰まり感が広がっている。【テヘラン春日孝之、ワシントン笠原敏彦、パリ福井聡】
「米国は制裁を叫ぶことで弱みをさらしている」。アフマディネジャド大統領は8月28日の記者会見でそう語った。米国が折にふれ「制裁」をちらつかせてきた結果、イランは国際世論分断を狙った手を打つ時間的余裕ができた。「圧力に屈しない」(同大統領)との強気姿勢は、中東情勢が流動化し石油価格の高騰が続く中、「米国はむやみに動けない」とのしたたかな読みに下支えされている。
◇中東情勢はイラン利する形で動く
最近の中東情勢はイランを利する形で動いている。レバノン紛争で米国は、イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラ戦闘員だけでなく市民の死傷者も出したイスラエルを擁護する姿勢を貫いた。中東・イスラム世界では米国への反発と連動する形で「反米・反イスラエル」の盟主を自任するイランの存在感が高まった。
内戦化が懸念されるイラクでも、正式政府を主導する多数派シーア派勢力に対するイランの影響力は増すばかりだ。核問題で追い詰められてきたはずのイランがいつの間にか攻守ところを変え、「ヒズボラ」「イラク」といった切り札を握った印象さえある。
米同時多発テロを受けての対テロ戦争でイランと敵対するアフガニスタンのタリバン政権が放逐され、イラクではイラン・イラク戦争(80~88年)を戦ったフセイン政権が崩壊した。皮肉にも両国への軍事介入でイランの敵を倒した米国は泥沼化する治安悪化に足をとられたままだ。米メーン大学のイラン専門家バーマン・バクティアリ助教授は「米国の中東での基盤は弱まり、イランに核政策追求の決意を強めさせている」と分析する。
イラン制裁を巡り安保理常任理事国の間には温度差がある。
「安保理制裁はないだろう」。前イラン国会議員(改革派)でイスファハン大学のシールザット教授(48)は、国民の楽観論を代弁した。最大の理由は「中露が反対するから」だ。両国はエネルギー・経済分野でイランと密接な関係があり、制裁には消極的だ。
国際社会の対イラン包囲網に微妙な影響を与えているのは、イスラエルとレバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの軍事衝突だ。フランスを中心とする欧州諸国には、イランが主張する「交渉」路線を模索する動きが目立ち始めている。背景には米英の暴走を許したイラク戦争の再現や、レバノン紛争に象徴される中東不安定化への懸念がある。
フランスがイランに「対話の余地はある」(シラク大統領)とシグナルを送り続けているのはこのためだ。イランを追い込めば態度硬化を招き、事態緊迫化につながりかねないとの危機感がある。フランスは米国と協調しつつ、イランとのパイプをつなぎ、衝突回避を目指す。
「イランが核兵器を持っていたら問題(レバノン情勢)がいかに困難だったかを想像してほしい」。ブッシュ米大統領は8月21日の記者会見で「イラン核保有」の脅威を強調した。中東覇権を目指すイランに核保有を許せば世界の安全が脅かされるとの警告だ。
米国はイランのヒズボラ支援を非難し、国際社会に脅威を訴えてきた。バーンズ米国務次官は「レバノン後」に、イラン核保有阻止に向け「多くの国々の意思が強まった」と主張する。だが、米国は中東民主化を掲げながらも、実態は火の粉を払うので精いっぱいで、国際協調路線に傾かざるを得ない事情がある。当面、安保理を通じての段階的な制裁強化や「有志連合」による金融制裁を目指しながらも、国際社会の「結束」維持を模索していくとみられる。
◇外交破たんなら軍事攻撃の可能性も
イランの核開発阻止を目指す外交がすべて破たんした場合、米国によるイラン軍事攻撃の可能性が焦点に浮上してくる。現時点で攻撃論議は高まっていないが「米国は最終的にイランの核保有を受け入れるか、攻撃するかの選択を迫られる」(米シンクタンク「グローバル・セキュリティ」のジョン・パイク代表)との見方は強い。
米政府は「すべての選択肢を排除しない」との基本姿勢を貫いている。ブッシュ大統領は「同盟国イスラエルを守るためには軍事力も行使する」と語っており、将来的にイランの核施設に限定的な空爆を行う選択肢は維持しているとの観測がくすぶっている。
保守系研究機関「アメリカン・エンタープライズ研究所」のジョシュア・ムラブチック氏はレバノン紛争でイランの脅威がより鮮明になったと指摘、「レバノン戦闘はイランに責任がある。米国はイランの核開発をつぶすため、最後には軍事力を使うだろう」と予測する。
しかし、対イラン軍事行動には▽イラク安定化への影響▽ひっ迫する石油需給への打撃--などの懸念がつきまとう。「イラン核保有は数年先」との見方が有力な中で空爆の検討は差し迫った課題ではない。米国にとっての不確定要因は、イランの核開発を自国に対する最大の脅威とみなすイスラエルの行動だろう。
◇日本政府に「制裁やむなし」のムードも
原油輸入の約15%をイランに頼る日本は、アザデガン油田の開発権益を抱えていることもあり、イランに譲歩を働きかけてきた。しかし、影響力を発揮できないまま手詰まり状況が続き、政府内には「制裁やむなし」のムードも高まっている。
「イランが国際社会で信頼されていないことが問題の核心だ」
麻生太郎外相は31日、包括見返り案に対する回答の説明のために来日したイランのアラグチ外務次官に苦言を呈した。しかし、次官はウラン濃縮停止を受け入れる姿勢は示さなかった。
日本はこれまでもイランとの友好関係を生かす形で、モッタキ外相を2月に招き小泉純一郎首相が核開発停止を要求。6月には麻生外相がイランを訪問してアフマディネジャド大統領を説得することも検討したが、「成果が期待できないので見送った」(外務省幹部)。
アザデガン油田は民間ベースで交渉が続くが、着工すれば国際的な批判を浴びるため、麻生氏は「自国の石油の利権のために核の話で安易に譲ることはない」と繰り返している。外務省は「安保理で制裁論議が始まっても、当初は緩やかな内容にとどまる」とみており、制裁論議に同調する方針だ。【山下修毅】
毎日新聞 2006年9月1日