プロとアマ双方を巻き込み、野球界は大きく揺れている。西武がアマチュア選手に裏金を供与していた一連の問題では、スカウトが中学生の野球留学に介在していた実態も表面化した。カネと野球が結びつく「闇の世界」。球春の到来を告げる選抜高校野球大会の開幕を機に、この問題を立ち止まって考えたい。
裏事情を知る元スカウトに話を聞いた。「(今回の裏金供与にかかわった)あのスカウトはプロ中のプロだ。ふつうは高校生や大学生を見るが、あの人は中学生にも接触し、選手の性格や家庭環境まで把握する。それで『いい選手はいないか』と持ちかけてきた高校に選手を送り込み、将来の入団へ道筋をつける」
ある高校野球関係者はこう言った。「関西の中学生が東北に野球留学するのには二つのルートがある。その一つがあのスカウトを通じてのルートですよ」
選手の囲い込みは、明らかに希望入団枠などドラフトを含めたプロ球界の制度や構造に問題がある。スカウトが好感触を得ても、他の金持ち球団が多額の契約金を選手に提示し、入団の確約がひっくり返されることがある。だから、スカウトは早めに選手や家族と接触し、人間的な関係や「栄養費」で選手を動かなくさせる。
だが、アマ側からこの問題を見るとどうか。日本高校野球連盟の田名部和裕参事は言う。「プロが主たる原因を作っているが、それに乗じる連中がわれわれの中から出たことは恥ずべきことだ」。今回の事件では高校の指導者(当時)が西武と高校選手の金銭授受に関与していたことが分かった。アマ側の意識や体質にも問題がある。
学生野球の憲法ともいえる「日本学生野球憲章」は、その13条でプロ入団を前提とした金品の授受を禁じている。プロとの接触だけでなく、野球部員であることを理由にした学費免除や選手の商業活動も認めていない。「アマチュア」が死語とさえ言われるスポーツ界にあって、野球界は依然、厳格だ。そのすべては憲章制定の歴史に立ち返らなければならない。
プロもなかった1932年、当時の文部省は「野球統制令」を発令した。東京六大学野球や中等野球が全盛の時代、ブローカーと呼ばれる興行師が現れ、プロまがいの遠征試合をする私立学校や選手の引き抜きが横行した。「野球学校」という言葉が生まれたのもこのころだ。そうして「野球は青少年の成長に不健全」という風潮が高まり、文部省が規制に乗り出した。
戦時中には国家の命令に従い、春夏の甲子園や東京六大学が中止に追い込まれた。そんな苦い経験を経て戦後すぐの46年に全国中等学校野球連盟(現・日本高校野球連盟)が発足。その4年後には日本学生野球憲章が生まれた。自らを律し、他に支配されない独立した野球界を願う強い意志が根底にあった。
以下は憲章の冒頭にある一節だ。
「元来野球はスポーツとしてそれ自身意味と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止(とど)まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも驕(おご)らず非運にも屈せぬ明朗強靱(きょうじん)な情意を涵養(かんよう)する事、いかなる艱難(かんなん)をも凌(しの)ぎうる強健な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない」
センバツ開幕を控えた甲子園練習で、私は高校野球の「純粋精神」に久しぶりに触れた気がした。「このチームの強みは何か」と聞かれた初出場、大牟田(福岡)の松嶋峯一監督(63)の言葉だ。それは人生訓のようにも聞こえた。
「中学時代は軟式野球部にいた者が多く、小さい時からの練習不足で未熟です。でも、強みは私の話術。『ウチは下手なんだ。でも、上手なチームがいつも勝つわけじゃない。下手でも一生懸命やったチームが勝つ。それが野球だ。下手なお前らを勝たせてやる』と言ってやるんです」
かつて「炭坑の町」としてにぎわった大牟田市からの甲子園出場は、65年夏に初出場初優勝を果たした三池工以来となる。炭鉱はすでに閉山し、経済は冷え込んでいる。そんな地元の期待を背負って大牟田ナインは開幕試合に登場する。
甲子園の舞台は学校宣伝の場でもなければ、プロ候補の品評会でもない。選手らは野球を通じてフェアな精神や規範意識を身につける。その教育の場という立場を高校野球は貫いてきた。センバツに挑む球児たちよ。高校野球の真の価値を伝え、純粋精神の理想を現実に取り戻してほしい。汚れた世界がクローズアップされる今だからこそ、だ。
毎日新聞 2007年3月23日 0時12分