富士山の麓にある約4600~4500年前(縄文時代中期末)の上中丸遺跡(山梨県富士吉田市)で、縄文人が少なくとも2回の噴火や土石流に見舞われながら、同じ場所で生活を再建した形跡があることが同市の発掘調査で分かった。調査担当者は「縄文人が噴火災害から2度も生活を立て直したことが確認できる遺跡は珍しい」としている。
調査した同市歴史民俗博物館の篠原武学芸員(考古学)によると、上中丸遺跡は富士山頂の北東約17.5キロにあり、2011年の調査で火山灰に埋まった竪穴住居跡が発掘された。縄文時代中期は富士山の火山活動が活発で、100年に数回程度噴火していたとされ、遺跡はこの時期に灰に埋まったとみられる。
その住居跡の近くで、積もった火山灰を掘って作った直径約1.3メートル、深さ70センチの穴が見つかり、土器片を伏せて置いた後、獣骨が混ざった粘土でふたがしてあった。篠原学芸員は「噴火から避難した後、戻って火山灰を掘り、例えば木の実などを貯蔵したのではないか」と指摘する。
火山灰層の上にさらに、数年から数十年後に襲ったとみられる土石流の層も確認。土石流の層にも直径20センチ、深さ15センチの穴が掘られ、複数の石斧や黒曜石が埋められていた。やはり同じ場所に戻って生活を再開した後、何らかの理由で立ち去ることになり、戻って来た時に再び使おうと埋めた可能性があるという。
篠原学芸員は「縄文人は狩猟採集の生活で移動しながら暮らしていたイメージがあるかもしれないが、住み慣れた場所が生活しやすく、災害に負けずに同じ場所に戻る傾向があったのではないか」と話している。〔共同〕