幕末の長州藩士、吉田松陰(1830~59年)の直筆史料68点が見つかり、萩博物館(山口県萩市)が26日までに発表した。松下村塾が運営費を賄うため行っていた写本について、写した書物名や人物を示す史料が初めて見つかった。
博物館によると、松陰の実兄、杉民治と親密だった萩藩士阿部家の子孫から寄託された史料から見つかった。61点は松陰の直筆書簡などをまとめた史料集「吉田松陰全集」に未収載で、筆跡などから直筆と判明した。
写本のリストも直筆で、松下村塾で使われた原稿用紙を使用。松陰の実名「矩方」と記され、親交のあった長州藩の僧侶月性の詩「清狂吟稿」を30ページ写本し「代百五十文」を得ていた。松陰以外の筆跡もあり、同館は「塾の運営費や塾生の小遣いにもなったのでは」と話す。
「花」や「食べる」などオランダ語の単語8つのつづりなどをメモした史料も見つかった。松陰はこれまでに見つかっていた手紙の中で「蟹文字(横文字)は苦手」と書いていた。
また、朝廷の許可を得ずに開国を進める幕府に反対し藩内で再投獄されていた際、藩主を参勤交代時に京都で三条実美ら倒幕派の公家と会見させようと計画した「伏見要駕(が)策」の具体的な行動案や、案が藩に受け入れられなかったことへのいらだちを示したものもあった。〔共同〕