1979年夏の箕島―星稜戦で三塁塁審を務めた達摩省一さん。延長十四回には、いわゆる「隠し球」で箕島の走者がアウトになったプレーをジャッジした
昭和40年代の関大野球部黄金期の監督で、高校野球の審判や連盟理事を長く務めた達摩省一(だるま・せいいち)さんが3月13日、肝不全のため大阪市内の病院で死去していたことが分かった。79歳だった。日本高校野球連盟と関大野球部が18日、発表した。本人の遺言により、家族が公表を控えていた。
金沢市生まれ。大阪・寝屋川高―関大で投手。1967年に野球部監督に就任し、7度のリーグ優勝を果たした。72年には山口高志投手(元阪神コーチ)を擁して春秋の関西六大学(現関西学生)リーグ、全日本大学選手権、明治神宮大会を制し、大学野球史上初の4冠を達成。同年の第1回日米大学野球選手権大会では全日本チームの監督も務めた。
高校野球は65年の第47回全国選手権大会で審判委員として甲子園デビュー。関大監督時代を除いて82年に勇退するまで数々の名勝負をジャッジし、79年夏の箕島―星稜の延長十八回でも三塁塁審を務めた。その後はNHKの高校野球放送の解説者として親しまれたほか、日本高野連の技術・振興委員長などを歴任した。