捜索現場を見守る前田友光さんの長男の友和さん(右から2人目)と次男の友次さん(右)=20日午前10時57分、熊本県南阿蘇村河陽の高野台地区、金子淳撮影
20日朝、南阿蘇村河陽(かわよう)の高野台地区。前田友光さん(65)の長男友和さん(37)と次男友次さん(32)は、父らしき人が見つかったとの知らせで捜索現場に駆けつけた。見つかったのは、父の「隠れ家」から数十メートルの場所だった。
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「早く見つけられんでごめんな。きつかったやろうな」。父の死を確認し、警察署を後にする際、友次さんは涙をにじませた。
自動車販売会社で働いていた15年ほど前、友光さんは「隠れ家」として村に家を買った。熊本市に自宅はあったが、阿蘇の自然が気に入り1年の大半を過ごした。庭に木を植え、塀を作り、自分好みに仕立て上げた。
「九州男児」そのままだった。息子たちにとっては寡黙で怖い父。子どもの頃は笑っている姿を見た記憶がない。大人になっても「元気にしとるか」の一言だけだ。だが、小学生と保育園児の孫2人の前では違った。自身を「ちゃん」と呼ばせ、花火を買ってあげたり食事に連れ出したりした。
「ようやくじっくり話せるかな」。被災したのは友次さんがそう思った矢先のことだった。「もっともっとおやじと話をしたかった。ゴルフも教えてほしかった。でももうできん」
妻和子さん(61)にとっては優しい夫だった。勤め先で知り合い、県内のドライブが最初のデート。話を何でも喜んで聞いてくれた。1年後に結婚して2人でプロ野球の試合を観戦し国内を旅行した。
前震があった14日夜。友光さんはいったん妻を案じて熊本市の自宅に戻った。だが、片付けを終えると再び勤め先のゴルフ場がある村へ。「『無理して仕事に行かんでよかとよ』って言っていたのに」
「隠れ家」は16日未明の本震で土砂に埋まった。和子さんらは代わる代わる一帯の捜索現場を訪れた。友光さんが見つかる前日の19日、家族が写った写真などの所持品が初めて見つかった。
「阿蘇は寒かったろうから、早く温かい部屋に連れて行ってあげたい」