〈1〉門下生・松根東洋城から。パロディー「猫は我輩である」が書かれている=個人蔵。神奈川近代文学館提供
夏目漱石「吾輩は猫である」では主人に猫の絵はがきが送られる。横浜市の神奈川近代文学館で22日まで開かれている「100年目に出会う 夏目漱石」展(同館、神奈川文学振興会、朝日新聞社主催)では、会期中に新たに見つかった漱石宛ての猫の絵はがきを、追加して展示している。
特集「吾輩は猫である」
これは夏目家関係者のもとに保管されていたもの。「猫」第二章冒頭には、主人に猫の年賀状が来た話が登場する。実際に「猫」発表後、知人らから続々と猫の絵はがきが届いたことを漱石は書簡に書き残しており、一部は漱石の没後、門下生で娘婿の松岡譲が「漱石山房の絵端書」(『漱石先生』昭和9年刊)に写真とともに紹介したが、その後、所在がわからないものもあった。
明治38年4月、漱石は門下生の松根東洋城に「先日は猫の絵端書をありがとう」と書き送ったが、今回、松根からの猫の絵はがきが2通見つかった。同年4月消印のものは「猫は我輩である(二)」という一種のパロディーで、漱石が「僕と友達の様に話」すと可愛がった距離の近さがうかがえる〈1〉。同年2月には、門下生の野村伝四は、お招きを断ったことを後悔し、「僕の様な馬鹿でなくちゃあんな失礼な事を自分の先生には出来ない」というわび状に猫の絵はがきを使っている〈2〉。