アサツーディ・ケイ(ADK)創業者の稲垣正夫(いながき・まさお)氏が16日午前11時47分、心不全のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。連絡先は同社コーポレート・コミュニケーション局。お別れの会を行うが、日取りなどは未定。喪主は妻、光子さん。
終戦後、外務省や出版社に勤め、1956年にADK前身の旭通信社を創業。87年に広告会社として初の株式公開を果たした。99年に第一企画と合併。約55年にわたって代表取締役を務め、電通、博報堂に次ぐ国内3位の広告会社に育てた。
社員一人ひとりが経営者意識を持って働く「全員経営」の理念を掲げた。中国で幅広い人脈を持ち新華社通信社と業務提携したほか、米英の広告世界大手と資本提携するなど海外事業も広げた。