JR甲府駅前の武田信玄公像
武田信玄公(1521~73)は水洗トイレを使っていた――。JR甲府駅前の信玄公像を見て、子どものころに本で読んだ記述を思い出した。そういえば、あの「トイレ」はいったいどこにあったのだろうか。どんな形をしていたのだろうか。調べてみることにした。
まずは「トイレと言えばここ」と、衛生陶器メーカー大手のTOTO(北九州市)に話を聞いてみた。すると、広報部の担当者が、2015年3月まで本社近くにあったTOTO歴史資料館で武田信玄のトイレを展示していたと教えてくれた。
再現されたトイレは、子どもの夏休みの宿題用に「世界のトイレ」を展示したうちの一つで、写真が残っていた。「木製で枠を作って、そこに畳を敷いてあったようです」。幅120センチ、奥行き160センチ。実際の40%程度の寸法だという。「文献などを見ながら作ったようですが、専門家の監修などは受けてないようです」
もとにした文献が「甲陽軍鑑」だ。信玄の軍功などが書かれた本として、山梨に赴任してから何度も名前は聞いていた。JR甲府駅北口の県立図書館で、書棚に「改訂 甲陽軍鑑」を見つけた。3冊の分厚い本をめくり始めると、「中」の中ほどに記述はあった。
《信玄公、御用心の御ためやらん、御閑所を京間六帖敷になされ、畳を敷、御風呂屋、縁の下よりとひをかけ、御風呂屋のげすいにて、不浄を流様に遊……》
よくわからない。解説書なども読むと、要するに、信玄は用心のためにか、トイレを意味する「御閑所」を、畳を敷いた6畳間に設置し、風呂の水で不浄(汚物)を流していた、ということらしい。
読み進めていくと、そのトイレで信玄は書面に目を通していた。中にいるときには3人の侍大将を交代で、太刀を持たせて、ふすま障子の陰に詰めさせていたという。においが気になったのか、お香をたく香炉まで置いて、朝、昼、晩と決まってたかせていたとも書かれている。