講演会で壇上に並ぶ山本義隆さん(左)と三田誠広さん(右)=2015年11月7日、大阪市中央区、北野隆一撮影
ベトナム戦争さなかの1967年10月、反戦を訴える学生らが東京・羽田空港周辺に集まった「10・8羽田闘争」。警官隊との衝突で、京都大生の山崎博昭さん(当時18)が亡くなった。それから半世紀。友人らが集まり、山崎さんの追悼碑を建て、60~70年代の反戦運動の資料展を開く計画を進めている。
学生らは当時、日本が米国のベトナム侵略を支援していると批判。67年10月8日には、佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を阻止しようと数千人が集まり、羽田空港に通じる弁天橋で機動隊と激しく衝突した。山崎さんは、そこで亡くなった。
学生運動で死者が出たのは、60年安保闘争の際に国会周辺で亡くなった東大生の樺(かんば)美智子さん(当時22)以来。山崎さんの死は全国の学生に衝撃を与え、全共闘などの学生運動が活発化するきっかけとなった。
その歴史を伝えようと、2014年、山崎さんの出身校の大阪府立大手前高校や京大の同窓生らが「10・8山崎博昭プロジェクト」を結成。山崎さんの兄・建夫さん(70)が発起人代表を務める。事件から50年となる17年10月に現場近くに碑を建て、記念誌を発刊することをめざしている。