米沢隆・元民社党委員長
民社党最後の委員長や民主党副代表などを務めた米沢隆(よねざわ・たかし)さんが16日、呼吸不全で死去した。76歳だった。通夜は18日午後6時、葬儀は19日午前10時30分から宮崎市錦町6の11の宮崎メモリードホールで。喪主は妻ミチ子さん。自宅は宮崎市江南2の20の19。
40年、鹿児島県生まれ。旭化成に入社して労働組合運動に参加した。宮崎県議を経て76年の衆院選で初当選し、当選9回。
民社党書記長時代、自民党の小沢一郎幹事長や公明党の市川雄一書記長と「自公民」路線を推進。3人は「ワン・ワン・ライス」と呼ばれ、92年に自衛隊の海外派遣を可能にするPKO協力法を自公民3党などの賛成多数で成立させる土台を築いた。
94年に民社党委員長に就いたが、野党再編で新進党に参加するため党を解党。最後の委員長として35年の党の歴史に幕を下ろした。新進党で副党首や幹事長を、民主党では副代表などを歴任した。