PL学園の背番号1を背負った哲平=6月4日、大阪府枚方市、高橋雄大撮影
18歳となる高校3年生が背負うには、あまりに重い荷物なのかもしれない。甲子園春夏37回出場、優勝7回。ファンならずともその名を知るPL学園高校(大阪府富田林市)の硬式野球部。過去の暴力事件がきっかけで、今夏限りで休部となり、伝統に幕を下ろす。
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5月の試合。エース藤村哲平(3年)がうなだれていた。相手は大阪の強豪・履正社。1、2年生チームに打ち込まれ、3―13で5回コールド負け。涙を浮かべて言った。「こんな投球では『1』をつけてこられた先輩方に……情けない」
過去の背番号「1」には桑田真澄(元巨人)や前田健太(ドジャース)ら球界を代表するメンバーが名を連ねる。今のチームは公式戦の勝ち星がない。肩を落としてバスに向かう選手に一人の男性が声をかけた。
「僕はそのユニホームにあこがれてPLに入りました」。大阪の専門学校で野球を指導する森岡正晃(53)。18歳になる年の夏、PL学園の主将だった。
部員が一生懸命プレーしている姿を見て甲子園にあこがれた時代を思い出していた。「そのユニホームはプレッシャーがかかると思うが、自分たちの好きな野球を精いっぱいやってください」。嗚咽(おえつ)していた。
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哲平が入学する1年前の2013年4月、当時の監督が部員同士の暴行事件を受けて引責辞任。秋に野球経験のない校長が監督に就任した。入学をあきらめた少年たちが何人もいた。
中学時代、ダルビッシュ有(レンジャーズ)らが輩出した野球チームにいた。自身の世代でPL学園に進む選手は少なかったが、哲平は強くあこがれていた。
寮生活が始まった。先輩が後輩に世話をさせる「付き人」制度は廃止されていたが、1年生がグラウンド整備などを担った。受け継がれてきたPL学園の上下関係。実質、監督がいなくても黄金期を築いたOBらが指導し、二つ上の代は夏の大阪大会準優勝。歴史が断ち切られるなんて想像したこともなかった。
「来年春から部員の受け入れを停止する」
1年の秋、学校側は「監督の適任者がいない」と保護者に通知した。コーチらからは、「やれることをやろう」と声をかけられた。
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今夏、12人全員が選手や記録員としてベンチ入りできる。同じポジションを争うライバルはいない。
入学後、打力は伸びたが投手としては伸び悩んだ。フォームがしっくりこない。もがくほど力む。「伝統があるのに自分くらいでもエース。責任を感じる」
昨年7月までコーチを務めた深瀬猛(47)は「彼らに責任のないことを背負わせたくない」と話す。1987年の春夏連覇の時の主軸。「胸の文字が重いのは、先輩たちが築いた歴史が偉大なせいじゃない。みんなの応援が大きいからだ。そう思って、今ある力を思い切り出してほしい」
今月3日、大阪大会前の最後の練習試合。哲平は山口県の強豪を相手に投げ勝った。調子は上がってきた。「12人全員で努力することが僕の青春だと思う。野球は宝物」と哲平。PL学園は15日、5年前の大阪代表・東大阪大柏原との初戦に臨む。「うちは『逆転のPL』。最後まで諦めず、泥臭いプレーを積み重ねていく」=敬称略(荻原千明)