明桜館―種子島の試合を見る羽生さん=鹿児島市の鴨池市民球場
鹿児島県・種子島出身で元高校球児の撮影監督が、自身の体験をもとに、島の球児たちの青春を描く映画の計画を進めている。鹿児島市内に拠点を設け、開催中の高校野球鹿児島大会も観戦。「純粋に、ひたむきにがんばる高校球児の姿を伝えたい」と意気込んでいる。
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12日に鹿児島市の鴨池市民球場であった明桜館―種子島の試合を、東京でCMやドラマなどの撮影を手がける撮影監督の羽生(はぶ)孝文さん(56)が見つめていた。
種子島出身の元球児。「自分の時と違って、球場に不慣れな離島の子でも堂々とプレーしている」と種子島の選手のプレーに見入っていた。「やっぱり高校野球は面白いね」
羽生さんは、自身が脚本を書いた「Last Ground 1977 鴨池の夏」(仮題)という物語の映画化をめざしている。
舞台は1977年夏の鹿児島大会。異例の快進撃を見せ、3回戦に進出した種子島高校野球部を中心に、甲子園を夢見る3番センターの主人公、鹿児島市で開催される試合を見に行けずに島で祈るマネジャー、伝説的なピッチャーだったOBなどの青春のひと夏と、現在を描いた物語だ。
種子島高校(2006年に種子島実業高校と統合)の野球部員だった自身の経験がもとになっている。小学校からソフトボールを、中学校から野球を始め、高校では3番センター。3年生だった1977年の春の大会で3回戦まで進んだ。
就職後も草野球を続けており、「高校野球を愛し、経験した自分が野球の映画をつくったら、高校野球ファンを始め、いろんな人に見てもらえる映画が撮れると思った」と話す。
脚本を書き始めたきっかけは10年ほど前。有名企業のCMなどを多く手がけてきたが、作品に満足しないことも多かった。「なぜ東京に出てきたのか」と自問し、映画監督になりたかった「原点」に立ち戻った。そして浮かんだのが、高校野球だった。
ロケで出かけていたニュージーランドのホテルの部屋に1日半こもり、一気に脚本を書き上げた。さらに10回以上書き直し、審判や元チームメートに気になったことや疑問点を聞いて仕上げてきた。
脚本に込めたのは「島出身」というコンプレックス。「田舎者」と馬鹿にされたこともあるが、むしろ島出身であることを前面に出して仕事をし、島に興味を持ってくれる人も増えた。脚本のなかには、自身の経験を織り込んだシーンがある。
九回裏、種子島、最終回の攻撃。センター前ヒット。一塁を回り止まる孝太。二度目の牽制(けんせい)球が来る。ヘッドスライディングで戻る孝太。ミットで顔を思いっきり払う一塁手。背の高い一塁手が孝太を見下げて。「種子島ー、明日の船で帰れー!」
「今でも忘れられないひと言。悔しかったけれど、このひと言のおかげで、今までがんばれた気がする」と羽生さんは話す。
映画製作のために鹿児島市内に事務所も開いた。羽生さんは「高校野球が好きな人はもちろん、老若男女が見られる映画にしたい」。制作費を確保したうえで撮影を始めたい考えだ。
映画製作の協力や問い合わせなどは羽生さん(090・8877・3252)へ。(島崎周)