星稜の寺西君①(右)は竹谷君と交代する=10日、阪神甲子園球場、奥田泰也撮影
(10日、高校野球 市和歌山8―2星稜)
動画もニュースも「バーチャル高校野球」
10日の大会第4日第3試合で初戦に臨んだ星稜(石川)は、49代表で最多の7投手で甲子園まで勝ち抜いてきた。春、投手陣にけがが相次ぎ「エース不在」。7投手が責任感をもって役目をこなした。市和歌山に2―8で敗れたが、1、2年生の4投手がリレーし、甲子園で全力投球した。
二回表、調子があがらない背番号1の寺西建君(2年)に代わり、背番号17の竹谷理央君(1年)がマウンドへ。寺西君が「抑えられず、すまん」と声をかけると、竹谷君は「絶対に抑えます。勝ちましょう」と返した。竹谷君は八回途中までロングリリーフ。さらに背番号13の小倉一優(ひゆう)君(2年)と、11の清水力斗君(2年)が継投した。
春は寺西君と清水君がエース候補だったが、春の県大会後、寺西君が腰、清水君はひじを痛め、試合を任せる投手がゼロに。だが、林和成監督(41)が「考えもしなかった」という投手が台頭し始めた。
小倉君は打たれると気弱になっていたが、救援機会が増えて「ピンチで打ち取るのが自分の役目」と思えるようになった。内野手だった竹谷君も投手に転じ、2人は6月の春季北信越大会で活躍した。みんなで継投で勝ち抜く――。夏に新しい戦い方が定着した。
10日の試合も、星稜のブルペンでは、かわるがわる4投手が投球練習を続けた。登板しなかったが、背番号10の下手投げ、前井滉太君(3年)も「自分の役目はワンポイント。いつでも行く」と、初回から準備し続けた。
残る3年生投手たちは裏方に回り、マウンドの後輩を支えた。冬場はエース候補だったが2月に肩を痛めた背番号18の横越亮祐君(3年)はブルペン捕手として1人で受け続け、「思い切って堂々と投げろ」「いつもどおりお前らしくな」と甲子園のマウンドに投手を送り出した。背番号16の中継ぎ投手吉田侑哉君(3年)も緊張した顔つきの投手陣に「いいボール、行っているぞ」と前向きな言葉をかけながら、ドリンクや氷袋を手渡し続けた。
試合後、先発した寺西君は「もっと力をつけて、必ず甲子園に帰ってきたい」と誓った。小倉君は「この7人でなければ、ここまで来られなかった。みんな投げていなくても声をかけ合い、一つになれた」。林監督は「7人が自分の役割を理解し、自覚をもってよくやった」とねぎらった。(田中ゑれ奈)