女子ダブルスで優勝し、握手する高橋礼華(左)と松友美佐紀=18日、リオ中央体育館、長島一浩撮影
(18日、五輪バドミントン女子ダブルス決勝)
特集:リオオリンピック
バドミントンの日程・記録
第1ゲームを18―21で落としても慌てなかった。高橋礼華(あやか)、松友美佐紀組は息の合った攻撃で第2ゲームから続けて奪い、逆転で日本バドミントン界初の金メダルを手にした。パワーの高橋と、技の松友。「2人であきらめず、頑張ってきてよかった」と松友は笑った。1人ではなく、2人で戦うことに喜びを見いだしたからこそ、つかんだ栄冠だった。
高橋がダブルスに専念したのは宮城・聖ウルスラ学院英智高時代にけがをしたのがきっかけだった。「2人で勝ったらうれしいし、負けても2人で悩める。違う者同士の2人が合わされば、こんなにも戦えるんだというのが楽しくなった」
同校で高橋の1学年下だった松友は、シングルスでも日本トップクラスの選手だった。高校を卒業して社会人になった当初はシングルスと掛け持ちしていた。ダブルスに気持ちが向いたのは、その難しさからだ。
「シングルスは1人の相手を考えればいいけど、ダブルスはパートナーも含めて3人。大変なダブルスを極めたら面白い、と」
日本でマイナーだったバドミントンが注目されたきっかけも女子ダブルスだ。2008年北京五輪で5位に入賞した小椋久美子、潮田玲子の「オグシオ」は、競技の垣根を越えて人気を集めた。五輪初のメダルをもたらしたのは、12年ロンドン大会で2位になった藤井瑞希(みずき)、垣岩令佳(かきいわれいか)の「フジカキ」だった。
高校時代、全日本総合選手権の準決勝でオグシオと対戦し、完敗した。その試合をきっかけに「自分たちもああなりたいと思った」と高橋。フジカキが銀メダルを手にしたことで、「自分たちも五輪で勝てるかもしれない」と思えた。
最終第3ゲームは16―19からの5連続得点で、大逆転で手にした金メダル。高橋は、「女子ダブルス界を引っ張ってくれた先輩たちに感謝している」。そして「タカマツ」が、日本女子ダブルスの顔になった。(清水寿之)