16日の常総学院―履正社の試合が終わり、阪神甲子園駅へ向かう観戦客=16日、兵庫県西宮市
阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)への観客を運ぶ阪神電鉄。1917(大正6)年に沿線で高校野球の大会が開かれてから今年で100年目となる。大量の乗客をどう手際よく安全に運ぶか。1世紀の間、輸送業務に関わる社員の間でノウハウが伝授されてきた。
動画もニュースも「バーチャル高校野球」
16日、阪神甲子園駅の会議室。駅員や警備員ら約20人が見つめるテレビは、この日最後の第4試合、常総学院―履正社戦を映していた。九回、履正社が追い上げる。藤森義一駅長(48)が言った。「延長やと臨時電車のダイヤが狂うな」
時計の針は午後6時48分を指していた。この試合の帰り客のため、駅の引き込み線などに3本の梅田行き臨時特急が待機。最も早くて午後6時53分発の臨時特急が用意できる。
だが、藤森駅長は周囲に伝えた。「53(分)はやめよう。なんぼ足が速くても駅には着けんやろ。次の04(分)のスジで行こう」。「スジ」とは列車が何分にどこを通過するか斜線で示したもの。運行ダイヤ表は複雑に絡む斜線でびっしりだ。
試合終了は同50分。藤森駅長はホームに出て球場方向を見た。駅に向かう人の波ができていた。券売機は長い列。「プロ野球ならここまでにはならない。高校野球は真っ先に甲子園の入場券を買いたい人が多く、行くときに帰りの切符まで買う人は少ないんです」
臨時特急は午後7時4分、13分、24分の発車と決めた。最初の発車まであとわずか。緊張が走る。「ホーム、持ちこたえてくれ」。駅が混雑し始めたその時、引き込み線から電車が着き、どっと人がなだれ込んだ。「ええ感じやね」。2本目、3本目が続いた。
混雑時間帯に使う5番線ホームに止まる電車は7時39分発が最後。それが無事に出発したのを見届け、この日の駅長業務は終了だ。「しんどいやろ」と周囲から慰められることが多いという。「なりたくてなった甲子園駅長。帽子かぶってホームに立つと、さっと疲れは消えますね。やりがい、ありますわ」
1915(大正4)年に大阪・豊中ローズ球場で初開催された全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)。2年後の3回大会から開催地は兵庫県鳴尾村(現・西宮市)の鳴尾球場に移った。最寄りは鳴尾駅。阪神電車が高校野球ファンを運ぶようになったのは、この年からだ。
この大会から五輪を参考に入場行進が採り入れられた。豊中球場時代より観客数は増加。阪神電車は試合終了を前に引き込み線に車両を待機させ、帰りの客の流れを見ながら順に臨時電車を出すという、今につながる方法を考えた。準優勝した関西学院(兵庫)は臨時電車で球場へ。「関西軍は神戸より数台の臨時電車に鈴生(すずなり)となり(中略)潮(うしお)の如(ごと)く鳴尾へと乗り込む」と当時の朝日新聞記事は伝えている。
それから1世紀。より規模の大きい甲子園へと移り阪神タイガースの本拠にもなった。近年は高校野球ブームのただ中にある。2012年は約37万人だった夏の大会期間中の駅の利用者は毎年増加。昨年は約46万人と1・2倍に増えた。
「阪神電車」(JTBブックス)の著者岡田久雄さん(72)は「こんなに大きい球場があるのに主な交通手段は事実上、阪神電車くらい。今までのように愚直に大量輸送のノウハウを高めてほしい」と期待する。
約200人の運転士と車掌の指導にあたる西部列車所の藤田智所長(51)はかつて4年間、甲子園駅長を務めた。試合がもつれると沿線の駅長が次々と駅に手伝いでやって来たという。「みんな野球中継に気をかけてくれる。これが輸送の阪神と誇りに思います。この伝統はなくしたらあきません」(長谷川健)