「ちょんまげタクシードライバー」の久江達雄さん=2015年6月
世相を反映する出来事や街ダネを200字程度で紹介する朝日新聞朝刊社会面の「青鉛筆」。字数や体裁を変えながらも、今年で掲載開始から100年を迎えた。かつて登場した人や場所の「いま」を追ってみると――。(阪本輝昭)
■ちょんまげタクシー登場(昨年6月11日、大阪本社版)
ちょんまげ姿でハンドルを握る京都のタクシー運転手・久江達雄さん(34)は「掲載後の反響が大きく乗客から声をかけられることも増えました」と話す。
JR京都駅で今春から始まった「外国人観光客向けタクシー乗り場」の運用実験にも参加。現在は週に2、3回程度、海外からのお客さんを乗せている。
ちょんまげの原点は、外国の人に喜んでほしいという「おもてなし」の気持ちだった。「願い通りの仕事ができていることに感謝でござる」と久江さん。
■ベルリンの壁売り出し(1989年12月20日、大阪本社版)
東西冷戦の象徴「ベルリンの壁」が撤去された89年。大阪のJR吹田駅で、マッド・アマノさん(77)も買い付けに関わった壁のかけらが売り出された。
「悲劇の壁が今は平和のシンボル」。パロディー作家のアマノさんは当時、取材にこう答えていた。それから27年。地球上から紛争や戦争はなくならない。
「本当の壁は人の心の中にあったんだな」とアマノさん。米国の新大統領が決まったら、平和への願いを込めて「壁」のかけらを贈るつもりだという。
■ダンスホール応募殺到(1949年11月21日、東京本社版)
「ご婦人用のダンスホール」が大阪に登場。男性のダンスパートナーを募集すると、約1千人が殺到した――。当時のドタバタの選考風景を伝えた。
ホールがあったのは、千日前の大阪歌舞伎座。文化プロデューサー河内厚郎さんによると、当時はキャバレーやバーもある総合的な娯楽施設だった。
戦後の女性解放や、職業難の一端が垣間見えた珍事。58年に閉場し、いまの新歌舞伎座(大阪市天王寺区)は日本有数の大衆劇場として親しまれている。
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〈青鉛筆〉 朝日新聞社史によると、1916年3月29日の東京朝日新聞に初登場した。当時の社会面の編集者が名付け親で、米国の新聞の編集者が原稿を整理する際に青い鉛筆を使っていたことにヒントを得た。同様の欄が大阪、西部、名古屋本社発行の紙面にでき、51年1月に青鉛筆に統一された。いまは大阪、西部の紙面に掲載中。話題の発掘に苦心したり、うまい「オチ」がつけられなかったり……。時として記者泣かせの欄であり、読者からおしかりを受けることもある。