クイニョン市中心街の避難村で1965年に沢田が撮影した写真。今回の回顧展で初めて公開された=沢田サタさん提供
ベトナム戦争を撮り続け、「安全への逃避」などの写真で知られる報道カメラマン沢田教一(さわだきょういち)。沢田が残した未公開写真のフィルムが故郷の青森市に戻り、ベトナムからの留学生が撮影地を1コマずつ特定する作業に協力している。沢田の作品を通じ、フィルムだけでなく、生まれる前の母国の姿とも向き合っている。
米UPI通信社のカメラマンだった沢田は、将来展覧会を開くことを夢見て未配信フィルムを保管していた。しかし、カンボジアで取材中に銃撃され、34歳で死去。フィルムは数人の手を経た末、2013年に約2万3千カット分が妻のサタさん(91)=青森県弘前市=のもとへ戻ってきた。
14年にサタさんからフィルムの寄託を受けた青森県立美術館(青森市)は、今年が沢田の生誕80年に当たることから回顧展を企画。フィルムに写り込んだ建物などを手がかりに撮影地を特定しようと、今春から作業を本格化させた。ベトナム人留学生が多く学ぶ青森中央学院大(青森市)に、見覚えのある風景や建物がないかを確認してもらおうと、400枚の調査を依頼した。
その中に、同大で経営学を学ぶズオン・ティ・トゥイ・アンさん(19)がいた。アンさんは中部ビンディン省のクイニョン市出身。銃火を避けて必死に川を渡る母子をとらえ、優れた報道に贈られる米のピュリツァー賞を受賞した「安全への逃避」は近くの村で撮影された。
アンさんは、沢田のフィルムを…