左右奥につながる土塁が見つかった前畑遺跡=28日午前、福岡県筑紫野市、恒成利幸撮影
福岡県筑紫野市の丘陵上で、長さ約500メートルに及ぶ大規模な7世紀の土塁が見つかった。市教委が28日、発表した。古代九州を統括し国家外交の最前線だった大宰府を守る防塁とみられ、丘陵での土塁の確認は初めて。市教委は「大宰府都城の外郭線」とみており、未確認の広大な防衛ラインが敷かれていた可能性が出てきた。
現場は政治の中枢だった大宰府政庁跡から南東に約7キロの前畑遺跡。土塁は土を盛って壁のようにめぐらせた防御施設で、市教委によると高さ約1・5メートル、下部の幅は約13・5メートル、2段構造で東側が急斜面になっている。標高49~61メートルの丘の尾根を、ほぼ南北方向に約500メートル(残存部分390メートル)にわたって走っている。周辺は区画整理事業のためどこまで続くかは不明。土を何層もつき固める版築工法で造られていた。
古代大宰府は国家の対外政策の要で、朝鮮半島の百済救援に向かった日本が唐・新羅連合軍に敗れた白村江の戦い(663年)の直後、敵の侵攻に備えて水城や大野城、基肄(きい)城(いずれも国特別史跡)が平地や山上に急造された。市教委は「水城や大野城などの築造工法と共通し、出土した土器の年代などから、大宰府防衛の構造物である可能性が高い」という。
一部の研究者には、百済の都な…