1983年1月の日米首脳会談の記録。中曽根康弘首相が日本の防衛努力について具体的に語った部分に赤で「取扱厳重注意」と書き込まれている。この部分は会談後の記者団への説明で伏せられた
外務省による定期的な外交文書公開が12日にあり、1980年代前半の対米、対中関係に関連する文書などが明らかにされた。当時の中曽根康弘首相がロナルド・レーガン米大統領との初めての首脳会談で、貿易摩擦で安易な譲歩をしない一方、安全保障で踏み込んだ発言をしていた様子が詳細に記録されていた。
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両氏の関係は「ロン・ヤス」と呼ばれ、日米の蜜月時代の代名詞になった。公開文書には、最初の会談で率直なやりとりを交わし、信頼関係を作っていく様子が表れている。
中曽根氏の首相就任から2カ月足らずの83年1月、両首脳は米ワシントン・ホワイトハウスの大統領執務室で会談した。通訳のみを同席させた場で、中曽根氏はこう述べた。「民主党が政権に復帰すれば米国が保護主義の道をたどることは明らかだ」
当時、貿易摩擦が日米の最大の懸案のひとつだった。貿易収支は日本の黒字が常態化し、米側は日本に市場開放を要求。特に、農産物の関税引き下げを強く求めていた。
経済が低迷していた米国の失業率は10%超。日本製の自動車や電気製品があふれ、労働者中心に不満が高まっていた。現在の米国でトランプ次期大統領を生んだとされる雰囲気に似た「内向き志向」が広がり、日本製品輸入を排除する立法の動きも出ていた。
中曽根氏は会談で「84年は大統領選だ。民主党候補は『公正な貿易』問題を取り上げている」と指摘した。レーガン氏は「特に下院の圧力が高まっている。保護主義を抑えきる自信がない」と打ち明け、日本の市場開放がカギを握ると繰り返した。
中曽根氏は「両国とも自由貿易体制の維持発展を目指している」と応じつつ、続けた。「日本も統一地方選、参院選を控える」「具体的政策では米国と異なることもあり得ると理解願いたい」
自民党を支える農業団体は米国…