長男・藤原信宏さんの名が刻まれた銘板がある「慰霊と復興のモニュメント」を訪れた宏美さん(左)と美佐子さん。毎年のように神戸ルミナリエや追悼行事に訪れる=昨年12月、神戸市中央区、高橋雄大撮影
公認会計士になる――。22歳の神戸大生の夢は、阪神・淡路大震災に砕かれた。ひたむきに生きた22年。両親は、同じだけ齢(よわい)を重ねた今も息子を思い続ける。友人たちは、咲かせられなかった夢の貴さを改めてかみしめている。
特集:阪神大震災22年
1995年1月17日、津市の自宅で藤原宏美さん(76)は大きな揺れで目覚めた。長男で神戸大経営学部4年の信宏さん(当時22)が神戸にいる。電話はつながらない。翌18日朝に現地へ。行けるところまで列車に乗り、3時間ほど歩いて神戸市東灘区の木造アパートにたどり着いた。
「なんだ、大丈夫じゃないか」。一見、形を残しているように見えたアパートは、信宏さんの部屋がある1階が2階に押しつぶされていた。遺体が見つかったのは、震災の2日後。胸を圧迫されていた。
約3カ月前、難関の公認会計士試験合格の報告を電話で受けた。「お父さん、通ったよ。就職も決まった」。妻の美佐子さん(72)と喜んだばかりだった。
優しく、おとなしかった信宏さ…