ゼロ金利解除を受け、会見する福井俊彦・日銀総裁=2006年7月14日午後、日銀本店
日本銀行が20日、2006年7~12月の金融政策決定会合の議事録を公開した。同年3月の量的緩和解除後、7月に「ゼロ金利」を解除した時期にあたる。議事録からは日銀が異例の金融緩和からの脱却を進めたがったことがうかがえる。結果的には米国の景気減速を読み切れず、利上げが時期尚早ではなかったか、見方は今も分かれる。
日銀は7月14日の会合で、短期金利の誘導目標を「0%」から「0・25%」に引き上げた。01年3月以来の金利の復活となった。当時は物価上昇が続き、雇用指標も改善。議事録によると、「ゼロ金利を維持し続けると、経済・物価の変動を大きくする」(水野温氏審議委員)、「異常な状況で採用したゼロ金利政策を続ける理由は乏しい」(福間年勝審議委員)との意見が相次いだ。
「米国の景気拡大テンポは確実に減速している」(須田美矢子審議委員)との声もあったが、議長の福井俊彦総裁が「完全に意見の一致をみている」と利上げを提案し、政策委員9人の全員一致で決まった。
ところが8月以降、物価上昇幅は縮小。10月会合では「最大のリスクは米国経済の下ぶれ。一挙に減速するリスクは低いが残っている」(野田忠男審議委員)と警戒感が強まった。
その後、日銀は景気に大きな変調はないとみて、07年2月に追加利上げに踏み切る。しかし米国の景気減速は鮮明になり、08年秋にリーマン・ショックが起きた。「米国がバブルかどうかは活発に議論されたが、金融危機まで見通すことはできなかった」と日銀幹部は振り返る。ゼロ金利解除に賛成した元副総裁の岩田一政・日本経済研究センター理事長は「デフレは克服できなかった。解除は成功とは言えない」という。池尾和人・慶応大教授は「経済的なショックの際、利下げは対抗策となる。ショックに備える観点から利上げは適切だった」と話す。
金融緩和を縮小し、どう「出口…