追悼式で献花した後、涙を拭いながら壇上から降りる遺族の女性=15日午前11時15分、熊本県益城町、西畑志朗撮影
熊本地震から1年が経過した15日、6200棟以上の住宅が全半壊し、災害関連死を合わせて37人が亡くなった熊本県益城町で追悼式が開かれた。観測史上唯一、2度の震度7に見舞われた人口3万人余りの町では今、住宅の解体、再建の槌音(つちおと)が響かない日はない。参列者らは犠牲者をしのび、長い復興への道のりを歩む決意を新たにした。
会場の町文化会館は町の中心部にある。直下を活断層が走り、立ち並んでいた商店や住宅の多くが解体されて更地に変わった。会館の擁壁も崩落し、すぐそばの道路沿いのガードレールはなぎ倒され、乗用車が下敷きになったままだ。
午前10時半からの追悼式には、応急仮設住宅などから喪服姿の住民が次々と訪れた。会場近くの家が全壊して一度は仮設住宅に入り、再建したという木下たつみさん(63)は「1年は長いような短いような不思議な時間だった。同じ地区の方々が亡くなられたので追悼に来ました」。再建を急いだのは、90代の両親が「死に場所がない」と言ったから。「まだまだ戻れていない方がいる。自分だけ先にというのは複雑です」
式では、昨年4月16日の本震で家族5人で住んだ自宅が倒壊し、長女の由実さん(当時28)を失った河添登志子さん(57)が遺族代表として「決して離れずに暮らせると信じて疑いませんでした」とあいさつを始めた。「悲しみは癒えることはありませんが、私たちが前へと歩いて生き抜くことこそが、娘や犠牲者への供養」とし、「私たちの生活を一変させたこの土地はまた、豊かな実りを与えてくれる大切なふるさとです」と語った。
町では98%以上の建物が被災し、18の応急仮設住宅団地に約1500世帯、隣の熊本市のアパートなどのみなし仮設や公営住宅に約1500世帯が移った。被害は甚大だが、町が昨夏に実施した住民アンケートでは、約9割が「町に住み続けたい」と答えた。
追悼式の会場では住民の献花の…