您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> 社会(日语) >> 正文

村田諒太が「怖い」と泣いたデビュー戦 その時、父親は

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-5-21 9:51:16  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


プロボクサーの村田諒太さん=諫山卓弥撮影


写真・図版


写真・図版


■ボクシング村田諒太が語る父親との関係


今でも忘れません。


プロデビュー戦を前にして、僕からお父さんに電話をかけたときのことです。何げない会話を続けていたら、声を聞いているうちに「こんな試合なんかしたくない」「怖い」と思わず泣いてしまった。周囲からのプレッシャーに、押しつぶされそうになっていたんです。お父さんは、黙って話を聞いてくれました。


試合の数日前、一通のメールが届きました。お父さんからでした。「結果ではなくて、いま自分にできることを表現する方が大事なんじゃないか」と書いてあった。見た瞬間に、すごく気持ちが楽になったんです。その通りだ、やるしかない、と腹が固まりました。


お父さんは公務員でした。定年まで大阪府にある知的障害者施設で、入所者の身の回りの世話をしていました。スポーツの経験はありませんが、すごくがっちりした体をしています。遺伝的に筋肉がつきやすい家系なのかもしれません。


夜の付き合いを全くせず、いつも夕食は自宅で。僕が小さいころ、休日はいつも、キャッチボールをしたり、サッカーをしたりして遊んでくれました。泊まり勤務もあって、それが終わると昼には家に戻ってきた。寝ているところを邪魔すると、「あと1時間、30分だけ寝かせて。そうしたら遊ぶから」って。おおらかな人。ほとんど怒られた記憶がないですね。


僕がボクシングを始めてから、一度も試合を見に来たことがありません。ロンドン五輪の前年にアゼルバイジャンで行われた世界選手権で、僕は決勝まで進みました。日本にいたお父さんはインターネット中継で試合を見ていたそうです。そしたら、負けてしまった。「俺が見て負けるのは嫌だから」と、リアルタイムで試合を見たのはそれが最初で最後ですね。


還暦を迎えたときに、ジャケットを買ってプレゼントしました。「ちょっとサイズが小さいな」とぼやかれた。なんやねんそれ、と思っていたけど、冬になると毎年、そのジャケットを着ているんです。心の中では喜んでくれているんでしょうね。(聞き手・清水寿之)



〈むらた・りょうた〉 1986年、奈良市生まれ。プロボクサー。南京都高(現京都廣学館高)時代に高校5冠。ロンドン五輪では男子ミドル級で日本勢48年ぶりの金メダル。2013年にプロデビュー。




 

新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇新闻:

  • 下一篇新闻:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    注册高达赢取大奖!

    09年2月《贯通日本语》杂志

    劳动力极其短缺!日本中型企业纷

    2017冬季日剧“奥斯卡奖”揭晓

    矢田亚希子、天海佑希时隔11年

    安室奈美惠时隔七年回冲绳故乡

    广告

    广告