ホワイトハウスのローズガーデンで、パリ協定からの離脱を表明するトランプ米大統領=1日、ワシントン、ランハム裕子撮影
米国の温暖化対策への姿勢はこの四半世紀、ときの政権により、「リーダー」となったり、「問題児」となったりと、変遷を繰り返した。
米、パリ協定から離脱表明 地球温暖化対策、大きな転機
1992年5月、世界の温暖化対策の基本となる気候変動枠組み条約がニューヨークで採択された。ブラジルのリオデジャネイロで開かれた「地球サミット」に合わせたもので、当時共和党のブッシュ(父)大統領が尽力し、米国は早くも10月に批准した。
93年に政権は民主党のクリントン大統領に交代し、94年に同条約が発効した。97年に京都市で開かれた同条約締約国会議(COP3)では、後にノーベル平和賞を受けるゴア副大統領が主導し、温室効果ガスの削減を初めて義務づける国際枠組みである京都議定書の採択にこぎつけた。
だが、削減を義務づけられたのは先進国だけだったこともあり共和党が優勢な米議会が抵抗、米国での批准・締結の動きは進まなかった。共和党のブッシュ(子)氏が2001年にゴア氏を破って大統領になると、まもなく京都議定書に締結せず、枠組みから離脱すると表明、京都議定書は発効すら危ぶまれた。国際社会が協調して05年に米国抜きでなんとか発効にこぎつけたが、世界の温暖化対策への機運を大きく損ね、停滞することになった。
09年に温暖化対策に積極的な…