夫と離婚した女性は、原発事故や放射能に関する本を何冊も手元に置いている
原発事故さえなければ思いも離れることはなかった――。東京電力福島第一原発の事故による避難生活は、大切な家族の関係に暗い影を落とすこともある。離れている距離や時間に加え、放射能を巡る価値観の違いなどが「溝」を広げ、離婚に至る夫婦もいる。
■夫はとどまった
子ども3人と大阪府に避難した女性(41)は、福島市の自宅に残った夫と2015年に別れた。
福島市は福島第一原発から約60キロ。放射能の影響を恐れ、事故翌年の12年、身寄りも土地勘もない大阪へ移った。できるだけ東日本から離れつつも、福島とは陸続きの本州、といった条件から選んだ。
環境の変化を嫌ってとどまった夫は、互いに行き来して会うたびに「戻ってこないの」と聞いてきた。女性は「いつか戻れるのでは」と期待もしたが、避難が長引く中、子どもたちの生活は大阪で落ち着いてきていた。自身も福島の復興は願いつつ、「事故現場の収束のメドはたっておらず、まだ安心して住めない」と感じていた。
夫との話は平行線だった。「年に何回か会うだけで、残った側と避難した側の思いを合わせるのは難しいと思った。腫れ物に触るような話になった」
東北地方から3人の子どもと近畿地方に移り住んだ40代の女性は、14年に夫と離婚した。
原発事故後、子どもを連れて北海道などに避難。まもなく夫から「理解に苦しむ」と離婚を切り出された。専業主婦で幼子も抱え、離婚する覚悟はなかった。不本意だったが、求めに応じて「反省文」を書き、夫の元に戻った。
だが、納得していなかった。夫は「放射能の話は二度とするな」。避難を望む気持ちをわかってほしいのにかみ合わず、精神的に追い詰められた。「放射能で家族はボロボロになった」