関大教育後援会設立70周年アイスショーで、記念撮影に応じる宮原知子(中央左端)と本田4きょうだい。(同右から)紗来、真凜、望結。太一(上段右)=上田潤撮影
あなたがいるから、頑張れる――。24日であと200日の平昌(ピョンチャン)五輪を控えた選手のそばには、ともに夢に向かう家族やパートナーの存在がある。
■夫は選手、妻がコーチ「年々仲良くなっている」
カーリング男子日本代表の山口剛史(32)=SC軽井沢ク=のたくましい肉体は、妻の七重さん(33)のトレーニング指導のたまものだ。七重さんはピラティストレーナー。長岡はと美コーチ(64)の4人の子どもの末っ子で、一人娘でもある。
「初めて会った気がしなかった」。2人は同じ言葉で出会いを振り返る。青森大3年だった山口が夏休みにコーチ宅に下宿するため長野県軽井沢町に来た時、母に頼まれ、駅まで車で迎えに行ったのが七重さんだった。
「彼女の言葉は、心の底に響く」と山口は言う。2014年ソチ五輪出場を逃し、競技を続けるか1人で悩んでいた時期。「やるならやりなさいよ」と一喝され、迷いが吹き飛んだ。「本当に全力でやってきたのか、諦めちゃいかんって思えた。七重がいなかったら、辞めていたかも」
五輪出場は、七重さん自身の夢でもあった。3歳でスピードスケートを始め、中学3年でひざをけがするまでは、平昌五輪で金メダルを目指す小平奈緒らと全国レベルで競り合った。
が、夢を夫に託したわけではない。「支える妻」という見られ方にも違和感がある。「出会った時から、存在自体が互いのサポートになっている感じ」と七重さん。服飾専門学校の教員時代にピラティスを始め、ハワイまで勉強に通った。そして13年に軽井沢町にスタジオ「shinkokyu(シンコキュウ)」をオープン。その情熱と行動力は「一直線ですごい人」と山口を驚かせたが、「前に進む山ちゃんの姿が、一歩踏み出す勇気をくれた」と感謝する。
結婚8年目。山口は「この人と一緒にいれば自分は大きくなれる、と思える。ずっと近くにいて欲しいなと思う」。七重さんは「ひたすらピュアにカーリングをやってきた、天然記念物みたいな人。例えば五輪後に落ち込んだとしても、山ちゃんが山ちゃんでいてくれれば私はハッピー」と笑う。敬意と信頼でつながる2人は「結婚した時より、今の方が仲がいい。年々仲良くなっている」そうだ。