守備につく森風童君=19日午前9時20分、紀三井寺
(19日、高校野球 智弁和歌山14-2箕島)
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コールド試合目前の五回裏2死走者無し。箕島主将の森風童君(3年)は首にかけたペンダントをユニホームの上から手でそっと握った。「よろしくお願いします」
「ここで終わらせない」。その気持ちでゆっくり打席に入った。3球目を振ったが、内野ゴロ。アウトになったが、森君は全力で駆けた。一塁手のミットに収まるまでアウトじゃない―。「その姿勢を天国のコーチに見せたかった」
そのコーチは、森君が中学時代から教えを受けた中野建一さん。中野さんは尾藤強監督と知り合いで、その縁で大阪出身の森君は箕島を選んだ。中野さんは箕島でもコーチを務めたが、森君が1年生の冬、40代でこの世を去った。葬儀後に中野さんの母親から遺骨が入ったペンダントを手渡された。
「中野さんには一から教えてもらった」。夜遅くまで素振りなどを見てもらい、二人三脚で打撃を磨いた。だが突然の別れ。「中野さんと甲子園に行く」。森君は胸に誓った。
「甲子園に行くために、智弁和歌山に勝つ」。それが目標になった。昨秋の新人戦は4―3で勝った。約1カ月後の秋季2次予選準決勝では5回コールドで敗れたが、手応えはあった。「甲子園を目指せる」と実感が芽生えていた。
しかし、この日の智弁和歌山戦では、猛攻を止められなかった。森君はチームの最後の打者になった。「ごめんなさい」。中野さんに心の中で伝えた。
だが、森君は試合後、「中野さんがいたからここまで来られた。これ以上できないところまでやってきたので悔いはない」とすがすがしかった。届かなかった甲子園。首にはあのペンダントが揺れていた。(片田貴也)