1度もバットを振らずに敗退した松井秀喜選手
甲子園を席巻した怪物選手の中でも、怪獣の名前がニックネームになった選手も珍しいだろう。「ゴジラ」こと、松井秀喜さん(43)だ。
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甲子園最後の試合は、一度もバットを振らなかった。1992年夏。5打席連続敬遠は作戦に対する賛否両論も相まって社会現象になった。
球場が異様な雰囲気になる中、星稜(石川)の松井選手は淡々と一塁へ走った。長嶋茂雄さん(81)はテレビ観戦しながら感心したという。「いろいろ思うところはあっただろうけど、5回ともしっかり走っていました。大人を感じました」
この年秋のプロ野球ドラフト会議で、松井選手は長嶋監督に引き当てられて巨人入り。大リーグでも活躍するスラッガーに成長する。「敬遠にふさわしい打者だったと証明しなければ」との思いもあったという。2013年、師弟そろって国民栄誉賞を受賞した。
石川県根上町(現能美市)出身。体の大きい松井少年は小学1年で、3年生以上のチームに特別入団させてもらった。しかし、幼すぎて監督の指示が理解できず、いったんチームをやめている。その後は柔道教室に通いながら、兄の友だちと草野球に興じた。
5年生でチームに復帰し、根上中学でも野球部へ。すでに身長170センチ、体重95キロ。「つまりデブです」とコーチだった高桑充裕さん(53)は笑う。「早稲田実の清宮幸太郎選手もでかいけど、多少はしまってる。松井は違う。ぼくは『関取』と呼んでいた」
運命の出会いでもあった。高桑さんは星稜高校OB。1年だった79年夏は箕島(和歌山)との延長十八回に途中出場している。「すごく飛ばす子だが、時間がかかるな。体をつくれば化けるかもしれない」と、当時は捕手だった松井選手に投手と同じランニング中心のメニューを課した。
中2の夏の大会を、星稜の山下智茂監督(72)が観戦した。「バッテリーと遊撃手と中堅手がいいな」と恩師に言われた高桑さんが「捕手は2年生です」と答えると、「スイングが一番速かったぞ」と驚かれた。
中3の春、ある試合で敬遠された松井さんは、バットを放り投げ、相手投手をにらみつけた。高桑さんは「審判にやり過ぎと言われるほど怒った」と言う。「道具を大事にする。その基本から、お前は分かっていない!」
3年後、甲子園での最後の試合を、高桑さんはスタンドで観戦した。「松井、がまん、がまん」と心で念じながら。「その必要もなかった。心も体も、大きく成長していましたから」
山下さんは入学時に握手した時の、ゴツゴツした手のひらが印象深いという。「それだけスイングしている。努力できる天才。日本の宝物になるよう育てたいと思った」
学校グラウンドのライト後方にある山下さんの自宅は、松井選手の特大アーチの直撃を何度か受けた。推定飛距離140メートル。「雨漏りして大変だったが、うれしくもあった」と懐かしむ。
その松井選手よりも「打撃の力は清宮が上。柔らかさがある」と山下さんは評する。「新しい時代を背負う選手。子どもに夢を与えるような器の大きい人間になってほしい」と期待を寄せた。(編集委員・安藤嘉浩)