リオデジャネイロ五輪開幕後、サンバを踊るボルト
■歴代担当記者がみたボルト
【特集】ウサイン・ボルト
8月4日にロンドンで開幕する世界選手権でラストランを迎える世界最速の男、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)。昨年のリオデジャネイロ五輪でも、100メートル、200メートル、400メートルリレーの3種目で金メダルを獲得したが、全盛期と比べると、良くも悪くも「大人」になった。引退は残念だが、今しかない、とも感じている。
私の記者人生で、最も衝撃を受けた瞬間が、今も残る世界記録が誕生した09年ベルリン世界選手権の男子100メートル決勝の取材だ。
ジャマイカ代表の黄色いユニホームと、ボルトのオレンジ色のプーマのスパイクは青いトラックに映えた。フィニッシュラインを過ぎても、珍しく速度を緩めなかった。9秒5台で止まった速報を見て、私は記者席で我を忘れて叫んでいた。職業柄、冷静でいるよう努めているが、まわりも同じだった。大歓声でスタジアム全体が揺れているような感じだった。
大会の数カ月前、ドイツ製の高級車に女友達を乗せたボルトは、車が横転する事故を起こしていた。大麻について語って物議を醸していた。
競技でも私生活でも規格外だった。記事を書く時に、ボルトのコメントの一人称は、当然のように「俺」を選んだ。
だが、少しずつ印象が変わっていった。
11年夏、世界選手権前にボルトが生まれ育ったジャマイカに出向いて取材した。ボルトの寄付で建てられた診療所があった。中学校の部室には、プレゼント用のシューズが山積みになっていた。
富も名声も得て、社会貢献に取り組む姿は、陸上選手の枠を超えて、世界のスターにふさわしいものだった。その半面、競技者としての鋭さは、徐々に失われているように感じた。
勝ち続けてはいたが、9秒58の選手が、時には10秒台で走った。陸上のだいご味である限界に挑戦するひたむきさ、がむしゃらさはあまり伝わってこなくなった。
昨年のリオデジャネイロ五輪。ボルトは大会前の会見で、サンバのリズムで踊る女性たちと一緒にダンスを披露した。陽気な一面は相変わらずだが、一番聞きたかった「世界記録に挑戦したい」という言葉はもはや全く出なくなっていた。
リオ五輪で最後に取材したのは、400メートルリレー。レースは夜10時半過ぎに終わったのに、会見が始まったのは未明。ボルトがミックスゾーンで世界中のメディアに丁寧に対応して、会見が始められなかったからだ。日本の銀メダルに対しても「拍手を贈りたい」と気遣いをみせるスターに対する一人称として「俺」は、適切ではなく感じた。
ボルトは引退しなければ、3年後、東京五輪で優勝するかもしれない。でも、伝説のボルトに、勝つか負けるかという関心の持たれ方は、ふさわしくない。(増田創至)